小学館「週刊少年サンデー(以下、少年サンデー)」編集長を10月13日付で退任した市原武法氏。2015年の編集長就任時、「少年サンデー」は1959年の創刊期以来、初の赤字転落が見込まれていた。
就任直後、市原氏は同誌の38号(2015年8月19日発売)に「読者の皆様へ」と題する宣言文を掲出。新人育成を絶対的な使命とする「サンデー改革」を表明した。そして退任にあたって自身のツイッターで「未曾有の危機にあった少年サンデーも6年3か月の在任中で劇的に業績改善し無事に次世代に引き継げたことを嬉しく思っています」とつぶやいた通り、「少年サンデー」は危機を脱する。内外に大きな反響を呼んだあの改革表明の真意は何だったのか。「少年サンデー」という老舗ブランドをいかにして立て直したのかをお聞きした。(全2回の1回目。後編を読む)
本当のことを言えば改革なんてしたくなかった
――市原さんが就任直後に出した宣言文は、読者からは「サンデーの緊急事態宣言」として受け取られました。
市原 「改革」という部分が大きく注目されてしまいましたが、ただやればいいというものでもありません。まず、本当に改革が必要かどうかを見極める必要がありますよね。動かなくていいときに動くリーダーは最悪です。リーダーのエゴで行われる改革ほど愚かなものはありませんから。
そもそも編集長というのは、何かトラブルがあったときに責任を取ったり、作家さんと行き違いがあったときに現場を代表して話し合ったり、チーム全体の方針を決めたりするのが役割であって、みずから汗水垂らして最前線を走り回るなんてのは大変な非常事態です。本当のことを言えば、僕だって改革なんてしたくなかった。疲れるから(笑)。僕が編集長になった時点で「少年サンデー」は、改革せざるをえない状況だったんです。
――当時の状況をお教えください。
市原 創刊期以来の大赤字になるという予測がすでに出ていました。ただ、それは昨日今日に発生した問題ではありません。20年という長い時間をかけて「少年サンデー」は凋落していったんです。
僕が入社して、「少年サンデー」編集部に配属されたのは1997年。「第3次黄金期」と呼ばれていた時代でした。『名探偵コナン』(青山剛昌)がはじまった頃ですね。ほかにも『犬夜叉』(高橋留美子)や『MAJOR』(満田拓也)などが連載されていました。