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「絶対に廃刊になる」と心配されながら「少年サンデー」編集長に

――そして2015年に「少年サンデー」編集長に就任します。

市原 それまでも横目でずっとサンデーを観察してはいましたけど、かつて僕が在籍していた当時よりもはるかに病状は悪化しており、僕が帰らなければ確実に廃刊するというのはわかっていました。懇意にしている作家さんたちは「絶対に廃刊になるから帰らないほうがいい」とか「潰れたときに編集長だとあなたの責任になる」とか「こんな大きな船が沈むのは漫画史上でも初だから大事件になる」なんて皆、心配してくれました。

 だけど、自分の中では(編集長就任の辞令を)受けないという選択肢はありませんでした。「少年サンデー」とあだち充が好きで選んだ職業ですから、そこに嘘をつくことになる。それに少年サンデー的にも僕がやってそれでも廃刊するならサンデーも本望だろうという思いはありました。それで編集長に就任することが決まってから、最初に主力作家さんたちに挨拶に伺い、これまで20年間の編集長たちの失政を謝罪して回りました。

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――そうして出されたのが「読者の皆様へ」の宣言文だったんですね。

市原 すべての責任は自分ひとりにある。僕は編集長就任と同時に辞表を書き、それを写メに撮っていつでも見せられるようにしておきました。あの宣言文を出したら、ダメだったときには辞めるしかない。どうせ失敗してもサラリーマンなんだから安泰なんでしょ、と思われたら改革なんてできない。打ち切り=クビの作家さんたちと対等になるには、自分の退路を断つ必要があったんです。

 まあ、そういった僕の真意は、百戦錬磨の作家さんたちは見抜いていましたね。あだち充先生からは「もうお前がやるしかねえだろ」と言って送り出してもらえました。「お前が失敗したら少年サンデーはもう終わりだぞ」と。

編集長就任時に、あだち充先生から送られた激励の色紙。在任中は会社の机に飾っていた。(写真:市原氏提供)

「サンデー改革」その1 編集者との面談

――市原さんの「サンデー改革」は、具体的にどういったところから着手されたのでしょうか?

市原 3つのポイントに絞って精査しました。まずは編集者。具体的には、編集部員全員と面談をしました。「どんな漫画を起こしたいか」とかは聞きませんでしたよ。「人生ナンバーワンの映画は?」とか「部活何やってたの」とか。向こうは「この人、なんでこんな合コンみたいなこと聞いてくるんだろう?」って思ってたかもしれませんけど(笑)。人間性を見たかったので、そういう質問をぶつけていったんです。そういった面談を繰り返し、使いものになる若者が何人いるのかを精査しました。事前に想像していたよりは多かったので、あまり絶望はしませんでしたね。

――宣言文には「少年サンデーの『漫画』に関わるすべての意思決定は編集長である僕がただ一人で行います。僕の独断と偏見と美意識がすべてです」とありました。

市原 それは独裁体制を築きたかったわけではなくて、彼らにはまだ無理だとわかっていたからです。能力がない。全然未熟。チャンスをもらう資格すらないのは君たちの恥だよ、と編集部員には言いました。ただ、編集者を育てるという伝統や風土が途切れてしまっていたので、彼らの責任じゃないんですけどね。

 だから毎週毎週漫画勉強会を開きました。それは編集技術を教える以前の段階であって、なぜ漫画編集者は必要なのか、漫画とは何か、物語とは何なのかを半年ほどかけて伝えていきました。これは新入社員が配属されるたびにやってました。5年目ぐらいまでは続けたかな? 大変でしたけど、そうすることで編集者はどうにかなる、と。勉強会は疲れるからもう二度とやりたくないですけど(笑)。

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