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「120人も統治するなんて俺にはとてもできない」と言ってしまう“首相・岸田文雄”をなぜ日本政治は生みだしたのか

政治学者・御厨貴インタビュー #1

2021/12/04
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与野党幹事長が共倒れ…「改革」の果てにあったもの

――そうして臨んだ選挙ですが、結果をみれば自民も立民も、議席を減らしました。自民党の甘利幹事長も、立民の枝野代表と福山幹事長も辞任しました。勝ったのは誰ですか。

立憲民主党・枝野幸男前代表 ©文藝春秋

御厨 自民と立民は、揃って討ち死に。一番得をしたのは維新です。自民には入れたくないけど、立民+共産に入れるのも嫌。そうすると、「維新しかない」と風が吹いた。

 ただ、あくまで勢いが味方をしただけで、実際議席数も2回前の衆議院選挙の時の数に戻っただけでもあります。維新の松井代表と吉村副代表は元気がいいですが、2人とも国会議員ではなく、大阪市と大阪府の首長さんです。いくら頑張って発言しても、議席や国政とは関係がありません。詳しくは後で触れますが、彼らにはまだ大きな弱点がある。

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 だから結局、衆院選の勝者はいないと言えます。強いて挙げれば、負けなかったのが岸田総理だったということです。政権を維持できたわけですからね。

 結局、30年にもわたり続いてきた「平成の政治改革」が何を生んだかといえば、最終的に「派閥全盛期」のような古式ゆかしい岸田政権を生んだのです。やっぱり自民党がよかった、という先祖返り。口当たりのいい「党改革」という言葉を岸田総理や自民党は唱えていますが、実際には考えてなどいません。党改革を叫びながら何もやらずにいても、政権は回っているからです。

「平成の政治改革」の末に登場したが、“古式ゆかしい”岸田内閣だった ©文藝春秋

 ただ、とはいえ「何もやらなくていい」というわけではない。後編では自民党が早急に取りかからなければならない「宿題」を考えてみましょう。

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構成=石井謙一郎

「120人も統治するなんて俺にはとてもできない」と言ってしまう“首相・岸田文雄”をなぜ日本政治は生みだしたのか

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