「もうちょっと、気軽にTシャツとジーンズで乗れるような車はないか、というのがありました。そこから、アメリカで暮らしていた頃に目にしていた70~80年代のアメ車ビンテージ、というイメージが湧いてきたんです。青木に伝えたら『RAV4だったらできるかも』ということで、ベース車と合致したわけですね」(同前)
ステータスの象徴としてのSUV、という潮流に対し、ある種の「逆張り」として、人生のあらゆるシーンに寄り添う「相棒=バディ」のイメージが形成されたわけである。
禍々しいデザインの源泉
光岡の自動車が異彩を放っているのは、世間の潮流に逆行する精神性に由来するところがありそうだ。オロチのデザインを担当した青木氏の話からは、ある種の鬱屈がオロチの「禍々しい存在感」につながっていることが窺われた。
「勉強も運動も苦手で、絵を描くことにしか自分の価値を見出せなかった」と小中学生の時代を振り返る青木氏。カーデザインの専門学校に入り、大手メーカーの採用試験を受けるが、97年の就職氷河期にぶつかり、採用枠に食い込むことはできなかった。
「ぶーたれて、もう故郷に帰るかって時に、車雑誌の広告で光岡の車を見つけて。電話したら面接してくれると。進さん(現会長)とこの部屋で面接して、一切包み隠さず話すと、わかった、すぐ来いと。捨て猫を拾うような感じでした」(青木氏)
入社から数年、「フェラーリやランボルギーニと並んでも目を引くようなスーパーカー」の企画が立ち上がる。そこで採用されたのが、青木氏の「蛇」をモチーフにした禍々しいデザインだった。
「蛇って嫌いな人は嫌いじゃないですか。でも自分は昔からダークヒーローが好きで、純粋であるがゆえに歪んでしまった、みたいなところに惹かれるんですよね。清廉潔白なヒーローは嘘くさくて魅力を感じないというか」(同前)
ダークヒーローのように、人によっては嫌悪の対象となる暗い部分を、露悪的に表現したのがオロチだった。成功者の象徴としての煌びやかなスーパーカーとは対照的に、ある種の「おぞましさ」を孕んだ有機的デザインとして結実する。
「車のシェイプというよりは蛇の彫刻を作る感覚でした。ワインなんかを作る時にクラシックを聞かせる、みたいな感覚で、オロチの時はロックをガンガンかけて、クレイモデルに聞かせてましたね」(同前)
そのような「儀式」ゆえか、オロチは工業製品というよりも、呪物的な様相を呈していく。社内でもオロチは「魂」の宿った存在として扱われ、試作車が完成した際には「入魂の儀」として神社に車両を持ち込み、プロジェクトの成功祈願を行った。
コンプレックスが独創性の源となる、というのは芸術や創作において見られるけれども、光岡は自動車という工業製品で、その創意を現実のものにした。2001年の東京モーターショーから5年、多額の開発費を投入したプロジェクトは市販化にこぎ着け、光岡の名前を鮮烈に印象づけた。