日本で最も奇妙な自動車メーカー――いささかショッキングなタイトルとともに、イギリスの自動車情報メディア“Road&Track”に紹介されたのは、富山県に本社を構える「光岡自動車」である。日本で10番目の乗用自動車メーカーでありながら、長らく世間にその名を知られてこなかった「謎のメーカー」が、にわかに脚光を浴びつつある。
「奇妙(weird)」と評されるのは、世界にも例を見ない特異なビジネスモデルである。他メーカーから新車を仕入れ、ボディをわざわざ剥がし、レトロ風・クラシック風の外装に仕上げて販売する。物好きな個人やショップであればいざ知らず、自動車メーカーがこうした奇抜な改造を事業としているのだから驚きである。
自動車の生産といえば、システム化された製造ラインによる大量生産が思い浮かぶかもしれない。けれども光岡では、すべての工程を手作業で行い、生産台数は1日1台程度。諸々のコストや手間を考えれば、大きな利益を見込める事業ではない。
光岡自動車の「奇妙さ」は、むしろ「酔狂」と言い換えた方が適切かもしれない。趣味性に特化したニッチ市場で、儲けにならない事業に注力する理由は何なのか。
謎に満ちた光岡自動車の実態を探るべく、取材班は富山の本社工場に潜入を試みた。
光岡自動車とは何物なのか
前述のように、光岡自動車といえば「クラシック風に仕上げられた改造車」が認知されている。一方で、会社として手掛けている事業は多岐にわたり、むしろ収益の大半は、輸入車のディーラー事業や中古車事業によるものである。
光岡自動車の歴史は、光岡進(みつおかすすむ)現会長が、ディーラーマンとしてのキャリアを捨て、富山に板金修理工場を開いたことから始まる。その後、顧客の要望に応じる形で、中古車販売や米国車・欧州車の並行輸入を手掛けるようになった。
これらの事業と並行して、進氏はマイクロカーの開発や、クラシックカーのレプリカの製作など、独自の「車作り」にも着手していく。しばらくは既存車種の改造を主としていたが、「オリジナル」への追求心は留まることを知らなかった。96年、自社オリジナルのフレームを用いた「ゼロワン」が型式認定を受け、日本で10番目の乗用自動車メーカーとなる。
その後も車両開発は、光岡自動車の理念を体現する事業であり続け、ゼロワンに続くオリジナル車両として2001年に「オロチ」を発表。2006年、多額の予算をつぎ込みこれを市販化し、その酔狂さを世に知らしめることとなった。
近年では「ロックスター」や「バディ」といったヒット車種により、一般にもその名は広まりつつある。一方、依然として収益の大半はディーラーや中古車事業によるものであり、メーカーとしての事業規模は小さい。光岡の車両開発は、まさに「好きが高じて」を形にしたような事業なのである。