素直な性格も木村の成長の糧になった。竹下が付け加えた。
「私がちょっとリクエストしたり、助言したことを、あっという間に吸収していくんです。打つポイントもたくさん持っていて、手首の返しも速い。才能ってすごいと思いますね」
「出来ないことがあれば、出来るまでやる」
しかし、当の本人だけが、自分の存在の大きさに気がつかないままだった。
それも仕方がないことといえる。17歳で全日本入りしたことから、国際大会でどんな活躍をしようが常に最年少。チームではマスコット的な存在で、性格的にも人を引っ張るタイプではなかったからだ。それでも上達しようとする意思は人一倍強かった。
出来ないことがあれば、出来るまでやる。誰に指示されるわけではないが、居残り練習を黙々とやっている姿を何度も見かけた。しかし木村は、努力を1度もしたことがないと屈託がない。
「努力って、やりたくないのに無理にやるとか、歯を食いしばって鍛錬する、というイメージがあるじゃないですか。でも私は、出来ないことがあったら、出来るようになるまで練習するのは当たり前だと思うし、苦手なプレイは得意になるまでやる。でも、これって当たり前のことだから、努力とは違うでしょ」
「木村には随分、厳しい言葉を吐きました」
ほんわかした表情を一皮むけば、バリバリのアスリートとしての顔をのぞかせる。竹下が、「苦しいことにも耐えられる選手」と評した所以(ゆえん)だ。
そんな木村の本性を眞鍋が見逃すはずがなかった。
眞鍋は就任してすぐ、木村がさらに一皮も二皮もむけないと、ロンドン五輪でメダルは難しいと感じた。竹下、佐野、木村のプレイがそれぞれ世界一にならなければ、強豪国の仲間入りさえ難しいと悟ったのである。ベテランの竹下、佐野はチームの中心になる覚悟は持っていた。
問題はチームの妹的存在に甘んじている木村だった。眞鍋が苦笑いしながら述懐する。
「だから、木村には随分、厳しい言葉を吐きました」