ミスしても動揺しない精神力を植えつけた
たとえば、眞鍋が木村に告げた「俺はお前と心中するつもりだ」という言葉もそうだ。
木村は「心中」という物々しい言葉をぶつけられ、ぎょっとした。男女のそれと早とちりしたからだ。しかし、眞鍋に「そういう意味だけじゃないだろう」と言われ、ネットで調べてみると「絶対的な信頼感」という意味にたどり着く。
そこまで自分は信頼されているのかとさらに身が引き締まった。もし、眞鍋にその場で説明されていたなら、それほど深く感じ入ることはなかったはずだ。
眞鍋は、木村の技の上乗せにも着手した。強豪国のアタッカーは、スパイクは強烈だがレシーブはうまいとは言えない。だからこそ眞鍋は、木村がスパイク、レシーブ共にさらに技術を磨けば、日本のメダル獲得の大きな力になると踏んだのだ。
サーブで対戦相手のエースを潰(つぶ)すのはバレーの定石。エースにレシーブさせることによって、スパイクに入る動作を少しでも遅らせ、あるいはミスをさせて、精神的な動揺を誘おうとするからだ。木村も狙われては動揺し、スパイクが乱れるという悪い連鎖に陥ることがあったが、もともとレシーブ能力には長けている。そこでミスしても動揺しない精神力を植えつけることが必要だと眞鍋は考えた。
眞鍋のアドバイスを受けた木村は、戦術コーチの川北、メンタルトレーナーの渡辺英児と共にこの課題に取り組み、1つのルーティン動作を編み出した。もし、サーブレシーブに失敗しても、相手が次のサーブを打つ前に、腕を伸ばして腕の感覚を確認してからレシーブの体勢を構えることにしたのだ。この動作で気持ちを切り替え、新たな守備に入る。ヤンキースのイチロー選手が、打席に立つなりバットをピッチャー方向に向け、左手で右の肩袖をなぞってバットを握るというルーティンの木村バージョンである。効果はてき面だったと木村は言う。
「腕に意識を集中させることで、ボールのコントロールも付くようになった。たとえサーブレシーブに失敗しても、1回1回この動作をすることによって、前の嫌なイメージを引きずらなくなったんです」
木村のプレイは安定した。
竹下の感じ取った木村の“変貌”
1年遅れて10年春から全日本に合流した大友は、木村の変貌に驚いた。アテネ五輪で一緒に闘ったときの木村は、春のタンポポのようにほんわかとしていて、チームの癒し的な存在でしかなかったからだ。それが、元来の技の高さを発揮してチームを引っ張り、全日本を率いる覚悟が随所に見えた。大友が目を輝かした。
「沙織の成長には本当にビックリしました。以前はバレーに対してもどこか他人事だったし、何を考えているか分からないようなところがあったけど、ミーティングでの発言もしっかりしているし、とにかく日の丸のユニフォームがすごく似合う選手になっていたんです。沙織の成長から、かえって私がバレーを離れていたブランクの長さを感じたくらい」
木村の変貌を真っ先に試合で感じ取ったのは竹下だった。10年春、V・プレミアリーグ決勝戦で竹下の所属するJTと木村がいる東レがネットを挟んだ。JTには、世界ナンバー1アタッカーといわれる韓国のキム・ヨンギョンがいた。竹下はその試合を鮮明に覚えている。
「決勝戦はいわば、ヨンギョンと沙織の闘い。でも、沙織は一歩も引かなかった。私がヨンギョンにいいコースを打たせようとしても沙織に拾われ、また沙織はうちの穴を巧みに狙ってきた。結局うちが負けたんですけど、沙織の成長は必ず全日本を強くすると確信しましたね」
竹下の読み通り、その秋に行われた世界選手権で木村は大爆発。対戦国は日本のエースを潰そうとサーブで執拗に木村を狙った。しかし以前の木村ではなかった。レシーブ力が上がり、たとえミスをしても平然としていた。
木村の成長が、世界選手権で32年ぶりのメダルにつながった。度々繰り返された眞鍋の助言によって、「頭と心と身体が一致した」と語る木村のバレー人生は順風満帆のように見えた。