志半ばでロンドンを去った石田の代わりに
迫田はスタメンから起用するとプレッシャーからか、あまり活躍できないことはデータが示していた。試合途中で交代したほうが、目の覚めるような活躍をする。一方江畑は、強豪国には強いが、韓国を苦手としていた。中国戦で33得点という大活躍をした江畑を使うか、それともデータ上はやや不安がある迫田を起用するか。
眞鍋は、データには表れない選手の“心”に賭けた。迫田は、母の危篤の知らせを受け、志半ばでロンドンを去った石田の大親友だった。眞鍋は迫田に静かに告げた。
「お前のユニフォームの下に、石田のユニフォームを着られるか」
迫田は目を輝かせた。
「はい。(石田)瑞穂と一緒に闘いたいです」
これで眞鍋の腹は決まった。
28年間も開くことのなかった表彰台への扉
自らのユニフォームの下に石田のユニフォームを身につけた迫田は、1セット目から活躍した。韓国はお決まり通りに木村を徹底して攻めたが、その間隙を縫うように迫田が韓国のコートにスパイクを次々と見舞う。
第1セット、第2セットと日本が奪い、第3セット24−21とマッチポイントを握った。あと1点取れば、念願の銅メダルである。銅メダルポイントを竹下は、石田に打たせたいとばかりに迫田に上げた。
迫田は、眞鍋、コーチ、スタッフ、石田、そしてチームメイトの願いを右腕に込め、力いっぱい振り下ろす。この3年半の魂を乗せたボールは、韓国コートに勢いよく落ちた。
その瞬間、全員がコート中央に駆け寄り、歓喜の輪が咲く。抱き合って泣き、そして笑った。28年間も開くことのなかった表彰台への扉を、眞鍋ジャパンがロンドンでこじ開けたのだ。
お家芸の復活――。誰もがそんな希望を抱くに十分なロンドン五輪の闘いだった。