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2021/12/06

genre : 歴史, , 社会

1877年、まさに“南端”にできた「京都駅」

 ここで京都駅の歴史にスポットを当ててみたい。

 京都駅が開業したのは1877年のことである。首都圏では新橋~横浜間が開通し、次いで関西でも1874年に神戸~大阪間が開通した。この神戸~大阪間を延伸する形で1876年にいったん大宮通付近に仮の駅舎が開業し、1877年になって京都駅が開業。開業前日には明治天皇を迎えて盛大な記念式典が行われたという。

 

 駅の場所は京都の中心から少し南に外れたところにある。古い地図を見ると、まさに京都の“南端”にあったことがわかる。当時すでに天皇は東京に住んでいたとはいえ、長年天皇の住まう場所であった京都の中心を鉄道が貫くわけにはいかなかったのもあるだろうし、古くからの市街地が広がっているので用地買収にも手間取ってしまう。そこで南の端に線路を通したというのがいまの場所に京都駅が設けられた理由だろう。

 

 そしてもうひとつ、京都からさらに東に向けて線路を延ばすにあたっての課題もあった。京都駅開業の2年後、1879年に大谷駅(山科~大津間、現在は廃止)まで延伸している。いまはトンネルを使って京都駅からほぼ直線的に東に伸びているが、当時はトンネルを掘る技術に乏しく、南側を大きく迂回するルートを取っていた。ちょうど伏見稲荷の目の前を通って南をぐるり。その線路の一部はJR奈良線として活用されている。

 その後、京都駅には現在の奈良線や嵯峨野線(山陰本線)が乗り入れるようになり、1895年には駅のすぐ東側を通る路面電車も開通した。この路面電車は、日本で初めての営業用電車というエポックメーキングな出来事でもある。

 こうして複数の路線が乗り入れるターミナルになり、開業当初は町外れ感が否めなかった駅前も大いに発展。お客や貨物が増えれば駅も手狭になって、1914年に2代目駅舎にリニューアル。奇しくも同じ年に東京駅が開業している。ちょうど同じ時期に、東西の“都”のターミナルが完成したというわけだ。

京都駅ならではの「英断」

 ちなみに、このときに東京駅は正面に天皇をはじめとする皇族が利用する専用の出入り口を設けている(いまもそのまま使われている)。京都駅もそのような構造だったのかと思って調べてみると、京都駅の場合は皇族専用出入り口は脇に追いやられ、中央に誰もが使える一般用の出入り口と車寄せ。御所のある街だけに皇族の利用も多かっただろうに、中央に庶民が使える出入り口を設けたのはずいぶんな英断といっていい。

 京都の街は空襲の被害に遭わなかったので2代目駅舎は戦争を乗り越えて長く使われたが、1950年に火災で全焼してしまう。食堂のアイロンの不始末が原因だったとか。東京駅の八重洲口も1949年に焼失しているが、こちらはたばこの不始末による失火。別に示し合わせているわけではないのだろうが、東京駅と京都駅は同じような時期に駅舎ができて同じような時期に燃え落ちているのである。

 1952年には3代目(つまり今の駅舎のひとつ前)駅舎が完成し、1964年には東海道新幹線が乗り入れる。新幹線の乗り入れで駅の南側(八条口)の発展も本格的に進むことになって、今の京都駅周辺の賑わいが形作られていった。