「以前は外国人観光客も多くて、タブレットを使って外国語での放送もよくしていましたしね。それがまったくなくなって、人がほとんどいなくなった。通勤時間帯でも少なくて、これはありえへんなあと。これからどうなるんやろうというのはすごく思いました」(青野さん)
仕事で乗っている人に「外出を控えて…」放送の矛盾
そうした中で、JR西日本ではエッセンシャルワーカーへの感謝を伝える車内放送を行っていた。会社として決めたわけではなく、車掌たちの間で広がっていった取り組みだという。
「お客さまが少なくなって、改めてお客さまがいてこそなんだと思いました。これまでだったら、スーツケースを持っているお客さまに対しても『早くご乗車ください!』とちょっと強めに言ってしまったこともあった。
でも、今にして思うとそういう方々ひとりひとりがいてこそ、鉄道が走っていたんやな、と。もっとひとりひとりのお客さまを大切にせなあかんと強く思うようになりました」(島崎さん)
新型コロナが拡大してから、鉄道各社は車内放送で不要不急の外出を控えるよう伝えている。だが、誰もが不要不急の外出をしているわけではなく、仕事などで理由があって電車に乗っている人も多い。そうした人たちに対して、「外出を控えて」と放送することへの矛盾を感じたこともあったという。
「だからこそ、安心して乗っていただけるように、ということをいちばんに考えるようになりました。観光案内の放送をするような機会も減ってしまい、外国人観光客への対応も少なくなった。
だからいちばん、いままで以上に力を入れて安心して乗ってもらう、というのを。お客さまは、みなさん毎日頑張って仕事や学校に行かれているわけですからね」(矢田貝さん)
移動しなければならない人がいる限り、どんな状況でも走り続けなければならない
コロナ禍において、ともすれば鉄道は批判の対象になることもあった。鉄道が停まれば移動もなくなる。満員電車はどうなっているんだ。府県境を跨ぐ鉄道が問題だ……等々。
しかし、鉄道のような公共インフラは、人間で言えば血管のようなもの。移動しなければならない人がいる限り、どんな状況でも走り続けなければならない。そしてそこには、彼女たちのように“鉄道を走らせる”人がいる。
毎日電車に乗っていると当たり前になりすぎて、車掌や運転士などのことを意識する瞬間はめったにないが、少しでも彼ら・彼女たちの存在を思い起こしてみてはいかがだろうか。
写真=鼠入昌史