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「両親や、外見、体型などを自分で選択できない」「努力をしてもむくわれない」五木寛之が語る自分の“運命”との向き合い方

『選ぶ力』より#1

2021/12/21

source : 文春新書

genre : ライフ, 読書, ライフスタイル

プロの道に進む野球名門校の選手はどれだけいるのか

 高校野球の名門校といわれる学校は、全国各地に相当の数ある。その高校に進学し、野球部に所属するだけでも、大変なことだろう。

 さらに、野球部員のなかでも、レギュラーとして試合にでられるのは、選ばれた優秀な部員であることは当然だ。

 補欠としてベンチで待機する選手もいるだろう。大きなチームだと、ベンチにすら入れない部員も少なくあるまい。そして日夜、猛烈な練習をつづけて、さあ、甲子園かといえばそうはいかない。

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 全国高校の野球部のなかから、えり抜きの強豪チームだけが甲子園に出場できるのだ。また選ばれて甲子園に出場しても、チーム全員が試合にでられるわけではない。そう思えば、私たちがテレビで観ている選手たちは、エリート中のエリート、ピラミッドの頂点にいる高校生たちだといってさしつかえないだろう。

 ところで、甲子園大会に出場する野球名門校の選手たちのうち、一体、何パーセントぐらいがプロ野球の道に進むのだろうか。

 もちろん高校野球の選手たちは、野球だけを人生の道として選んだわけではない。ほとんどの高校選手らは、日々の練習の中で身につけたスピリットや体力を、実社会で存分に発揮して生きることになるだろう。

 また社会の側でも、辛い練習に耐え抜いたスポーツマンの資質を高く評価するのは当然である。社会人となっても有用な人材が多い。

 たとえ一度も甲子園の土を踏めなかったとしても、またレギュラーとして活躍することなく終ったとしても、そこには清々しい覚悟と納得があるはずだ。野球に高校生活を賭けた自分の選択を、他人にはわからない誇りとして胸に秘めつつ生きていくだろう。

 私はそのことを美しいと思う。うらやましくも感じる。

 しかし、わが少年野球のボスであったあの不良少年は、なぜ村のチームの投手に甘んじなければならなかったのか。彼とて野球に対する夢はあったはずである。しかし、万人が認める抜群の資質にはめぐまれてはいなかっただろう。そしておのれの才能を磨くための努力や、ひたむきの情熱や、すぐれた指導者に出会わなかった、などの不運もあったにちがいない。