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「私です。覚えていますか?」と坂本が顔を見せると、「事務官、もちろん覚えています」という言葉が返って来た。短い会話が交わされた。「がんばって下さい」「はい、がんばります。ありがとうございます」互いを認識し、しっかりとした会話を袴田と出来たのは、これが最後となった。

2021年の秋、対面した2人

 2021年10月。

 目指すマンションに到着すると、坂本は腕時計を確認した。「約束の10時よりも少し早いですけど、お邪魔しましょう」。

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 インターホンを押すと、中から「ハーイ!」と快活な声がした。ドアを開いて招き入れてくれたのは、袴田巌の姉である秀子だった。

 秀子は袴田が逮捕をされてから、現在に至るまで弟を支え続けて来た。苦境を前を向くエネルギーに変えていくその様は多くの支援者からも尊敬を集めている。

「坂本さん、久しぶりです」。坂本と秀子は、袴田の再審を静岡地裁が認め、拘置の執行が停止されて以来の交流を重ねている。

再審開始決定報告集会に出席した袴田巌さん(左)と姉の秀子さん(2014年4月14日、東京・霞が関の弁護士会館) ©時事通信社

「そう、初めて会ったのは、48年ぶりに弟が釈放されてすぐに開かれた支援集会でしたね。元刑務官というので、どんな人かと思っていましたが、巌のこともよくご存じで、こんな看守さんがいたんだと改めて驚きましたよ」(秀子さん)

「私もこんな明るいお姉さんが支援されているとは知りませんでした」

 日当たりの良い奥の間に通されると、そこには袴田が背もたれ椅子にポツネンと座っていた。

 しかし、今、袴田の目には坂本は映らない。「事務官、お久しぶりです」と、挨拶を交わすこともなく、視線は宙をさまよう。

坂本氏(左)と袴田巌さん(筆者撮影)

「死刑確定囚のいる独房に移ってから、突然の変化が起きました」

 長期間に渡って拘束された人に起きる精神障害、いわゆる拘禁反応が袴田に現れ始めたのは、1980年に最高裁によって死刑が確定し、独房に移されてからのことだった。

 秀子は言う。「死刑確定のときは、味方の弁護士も200人の報道陣も世の中のすべてが敵に見えましたよ」。坂本は自分の責任に手繰り寄せた。「それは私にとっても重い言葉です」。

 少し間を置いて秀子が記憶の中から時系列を整理する。

「巌は最高裁の判決から、一気に変わりました。それまでは面会に行くと事件のことを一生懸命語っていました。それが死刑確定囚のいる独房に移ってから、突然の変化が起きました。ある日の面会で『昨日、死刑があった。となりの人だった。お元気でと言っていた』と言い出したんです。

 私はじっとして聞いていました。その日から、言う事がおかしくなっていったのです。『ここには電波を出す奴がいてかなわん』『サルがいるんだ』『俺は殺される』。とにかく面会に行ってもほとんど普通の話はできなくなった。挨拶以外はほとんど妄想の世界になったんです。そしてもう面会室にも出て来ないようになっていきました」