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連載刑務官三代 坂本敏夫が向き合った昭和の受刑者たち

「排泄は捜査員が見ている前でしろ」「深夜気絶から目が覚めたら手足の爪が…」“悪魔の館”で何が起こったのか

「排泄は捜査員が見ている前でしろ」「深夜気絶から目が覚めたら手足の爪が…」“悪魔の館”で何が起こったのか

刑務官・坂本敏夫の見た、袴田巌という囚人#2

2021/12/12

genre : ニュース, 社会

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3年7ヵ月ぶりの面会…「俺が誰か分かるか?」

 信頼していた司法に裏切られ、いつ執行されるか分からない死刑の日を待たされているという状況になり、袴田の心は大きく壊れていった。

 姉との面会も拒否する姿勢を示し、拘置所に行って面会要請をしても姿を現さなくなった。俺に姉さんはいない、今はだめだ、俺は忙しい、という回答が返ってくるばかりで、送った手紙も読まなくなった。

 しかし、秀子はそれでも足しげく通い続けた。何年も空振りが続いた。1999年2月に3年7カ月ぶりの面会が出来た。現れた袴田はいきなり、「俺が誰だか分かるか?」と言い出した。「あなたは袴田巌でしょ」弟は「違う!」とだけ言い残して帰っていった。

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 時間にして30秒だった。それからまた面会拒否が続いた。それでも秀子は東京拘置所に足を運んだ。次に会えたのは3年10ヵ月が経過した2002年だった。

再審の開始、そして48年ぶりの釈放

「もう事件のことについては一切聞かないようにしました。巌はすべてが妄想の中で、事件は無かったことだと言っていたから。

 俺は刑務所なんか入っていない。神の儀式があった。バイ菌が攻めて来る。法務省の言う事は聞かないといけない。法務省は誰? それは俺。こんな人知らん、もう帰る、そんなふうにあっと言う間に5分の面接が終わりましたけど、私は巌が息をしているのが見られればそれで良かったんですよ」

 袴田に面会さえ出来ないという状況の中、秀子は闘い続けたが、抗告はことごとく撥ね返された。2004年、東京高裁が即時抗告を棄却、2008年最高裁が特別抗告を棄却。それでもあきらめなかった。

 そして2014年3月27日。ついに静岡地裁が再審開始を決定した。村山浩昭裁判長がシャツの血液のDNAが袴田のそれと一致しないこと、新証拠として発見されたズボンも袴田のサイズが全く合わないことなどから「捜査機関によって証拠がねつ造された疑いがある」という判決を下したのである。これにより、袴田に対する死刑の執行と拘置が停止された。

 48年ぶりに釈放された袴田は2ヵ月の入院生活を終えて浜松に帰って来た。自由の身となった袴田はしばらくすると何かに憑りつかれたように家を出て連日、浜松の町を歩きまわるようになった。朝、家を出て3時間、昼食時に帰宅して、それからまた4時間。炎天下でも台風の日でも呟きながら、徘徊を続けた。支援者の猪野待子が言った。