母から着信があると、「もしかして……」と
——そうなってしまった辰夫さんと一緒にいるクラウディアさんも、参ってしまいますよね。
アンナ 私、生存確認のために毎週金曜に来てたんですよ、この真鶴の家に。私の家が渋谷だったので、学校が終わった百々果をピックアップして用賀インターから東名に乗ってね。2018年の4月に松濤の家を売ってから父と母はここに住むようになったんですけど、自分の意志で移り住んだわけじゃなくて、奥さんとしてついてきたことも、母にとってはすごくストレスで。
父はこの家が好きで、一日中海を見てたら幸せな人なのでいいけど、元々母は都会が好きで海なんか興味ないから。
うちの両親を見てると、価値観の合うものがほとんどなくて(笑)。母も頭では「ついていかないと」ってわかっていても、心はついていけなかったと思います。東京から神奈川に越すだけでも、母にとっては結構な勇気がいることなので。
金曜に行くと、母はいつも泣いてました。しがみつく感じで「帰らないで」って言うんだけど、私にも東京での生活と仕事があったし、百々果もいるし。それに、当時の私は親と一緒に生活するというのが頭になかったんですよ。親となんか絶対住めないと思ってたし。それぐらい、人に依存したりされたりするのがダメなインディペンデント型の人間なので。
——真鶴と渋谷で離れて暮らしているなかで、辰夫さんが亡くなられたのを知ったと。
アンナ その頃は目の前にあることを必死にやるしかなくて。今日のことだけ、明日のことなんか考えられなかった。携帯が鳴って、母からだと「あぁ、パパ亡くなったのかな」と思うようにしてました。そういうカウントダウンが、どこか自分のなかであったと思うんです。
そういう心の準備をしてたので、実際に亡くなった時はパニックにならなかった。もう大変すぎたから、正直「あぁ、終わった」と思った。「パパ、お疲れさま。頑張ったね。みんなも頑張ったね」という。悲しいとか寂しい気持ちは、たぶん後からやってくるんだろうなって。