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「玄関に4発、室内に2発…」一般家庭に放たれた弾丸…それでも北九州市民が工藤会の“追い出し”に成功した“驚きの理由”

『福岡県警工藤会対策課 現場指揮官が語る工藤会との死闘』より #2

2021/12/18

 福岡県の暴力団排除条例は、幼稚園や学校から200メートル以内に暴力団の新事務所を構えることを禁止している。しかし、暴排条例が施行される直前、北九州市上貫地区の幼稚園・小学校の目の前に工藤会の新事務所が開かれた。

 一般市民でも工藤会の逆鱗に触れればどんな報復を受けるか分からない。そんな緊張状態にもかかわらず、工藤会の「追い出し」のために北九州市上貫地区の住民たちは行動を起こしたのだが……。

 ここでは、藪正孝氏の著書『福岡県警工藤会対策課 現場指揮官が語る工藤会との死闘』(彩図社)より一部を抜粋し、北九州市民が工藤会に対して起こした運動のあらましを紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

暴追パレードに市民510人が集結

 暴排条例施行直前の平成22年3月5日、北九州市小倉南区上貫地区にある豪邸の門扉に『四代目工藤会長野会館』と黒々と書かれた看板が掲示された。長野は付近の地名だ。以下、この建物を「長野会館」と呼ぶ。上貫地区は九州百名山の一つ貫山の北側麓に位置し、北にはゴルフ場、市立文化記念公園の緑地が広がるのどかな地区だ。この年の1月、工藤会・野村悟会長(当時)が、親交のあった元会社社長から購入した事実は把握済みだったが、その目的は不明だった。

 福岡県内では、昭和61年12月に発生した道仁会と山口組伊豆組との抗争事件以降、暴力団事務所の看板は次々と証拠品として差し押さえていった。そして平成4年に施行された暴力団対策法では、暴力団事務所外周や外部から見通せる状態で、指定暴力団であることを示す文字や図形を掲示すること等が禁止された。図形とは「代紋」と呼ばれる暴力団のシンボルマークなどだ。工藤会本部も、事務所敷地内の本部入口にローマ字で「KUDOUKAIKAN」と浮き彫りの金属プレートを掲示しているだけだった。そして工藤会傘下組織で団体名や組織名を掲示したところは一つもなかった。

 市道を挟み、長野会館の目の前は私立の幼稚園で、近くには市立貫小学校があった。長野会館前の市道が通学路で、全校生徒約550人の3分の2が長野会館前を通学していた。しかも、歩道は長野会館側にしかなかった。

 福岡県暴排条例では、幼稚園、学校等から200メートル以内に新たに暴力団事務所を設置することは禁止されている。だが、その効果は条例施行前には及ばない。3月10日、看板に驚いた付近住民代表や小倉南区自治総連合会関係者が集まり、小倉南警察署、小倉南区役所の担当者も参加し対応を協議した。その結果、工藤会新事務所の撤去を求めていくことが決定された。また住民の意思を工藤会側に示すため、3月12日と18日に長野会館に向けて暴追パレードを行い、3月30日には暴力団排除総決起大会を開催することとした。

 看板設置から1週間後、3月12日は金曜日だった。市立貫小学校横の市民センター駐車場には、平日の昼間にもかかわらず、市民ら約510人が集まった。工藤会は、看板掲示後、何の必要もない「当番員」を入れていた。また当日、多数の暴力団員を長野会館に集めるとの情報を入手していた。市民や警察に対する威圧、嫌がらせだろう。

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