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全斗煥時代の韓国は本当に“暗黒”だったのか? 事実を直視しない「韓国人の歴史観」には付き合いきれない

カラーテレビにプロスポーツ解禁、オリンピック招致…実はあの頃の韓国は明るかった

2021/12/17


 そのほかプロ野球やプロサッカー、プロ相撲(韓国ではシルムという)などプロスポーツも全斗煥時代に始まった。韓国にとって史上初めての国際スポーツ大会となったアジア競技大会(1986年)が開催され、1988年ソウル五輪の招致にも成功した。スポーツが韓国人の日常の話題に上るようになったのだ。

物価高を抑え込み、経済成長は10%近くまで

 ソウル市内を流れる漢江の再開発・整備が行われ、「漢江公園」はソウル市民の憩いの場となり、遊覧船も浮かんだ。今、漢江沿いは市民サイクリングでにぎわっているが、韓国のサイクリング時代の幕開けもこの時代だった。全大統領が自転車に乗ってさっそうと漢江公園を走る姿が、政権PRとしてテレビニュースになっている。

 その後1989年には海外旅行も自由化された。それまでは海外旅行は贅沢だったし、海外では北朝鮮によるスパイ工作の標的になるといって厳しく制限されていた。海外旅行自由化で普通の人も海外に関心が広がった。

「全斗煥“さん”死亡」と報じるKBSニュース

 韓国の懐メロ・ヒット曲に『アパート』というのがある。今もとくに中高年層には人気がある演歌系の大衆歌謡だが、これが大ヒットしたのが1982年だった。「アパート」は日本風にいえばマンション。この時代、マンション暮らしが広がり、人びとのあこがれとなった。歌はマンション暮らしをする恋人に想いを寄せる話だが、この時以降、全国民の住の関心は「アパート」となり、今も「アパート分譲・入居・売買」は韓国の政治、社会を揺るがす最大イシューである。

 韓国の都市交通で地下鉄がスタートしたのは1970年代だが、国鉄の一部区間を地下化したに過ぎなかった。本格的な地下鉄時代の幕開けは、全斗煥時代にソウルの都心を一周する「環状2号線」が開通してからである。

 それに経済状態もよかった。全斗煥政権の最大の経済的成果は、前政権が悩まされていた物価高を抑え込んだことだといわれた。そして経済成長率も10%に近く、景気は好調だった。景気が好ければ社会は明るいし、人びとの表情も明るかった。

初の民主化選挙は野党分裂で……

 全斗煥政権は末期の1987年6月、民主化を求める反政府デモの盛り上がりを受けて憲法改正を受け入れた。それまで代議員による大統領間接選挙制だったのを直接選挙制に変えたのだ。国民一人一人が自分の手で大統領を直接選ぶというのが“民主化”の象徴だったからだ。

 その民主化選挙の最初となった次期大統領選は1987年12月に行われた。そこには「光州事件」のいわば“主役”だった金大中氏も立候補した。金大中氏は「5・18」で連行、拘束されたあと「内乱陰謀罪」などで戒厳令下の軍事裁判によって死刑判決を受けたが、後に減刑・釈放となり、米国滞在(亡命?)を経て政治活動を再開していた。