日本を代表する列車と言えば東海道・山陽新幹線を快走する「のぞみ」と「ひかり」。だが、同じ名を冠する列車が、実は80年前の昭和初期に、朝鮮半島と満洲を結ぶ豪華国際急行として走っていたことを知る人は、今では少ない。特に「のぞみ」は、最後尾に列車名を掲げる往年の雄姿をとらえた写真が残っておらず、幻の存在となっていた。
その幻の「のぞみ」の列車名を掲げた豪華展望客車の写真が、およそ80年ぶりに発見された。長い眠りから覚めた「のぞみ」「ひかり」のカットをはじめ、昭和初期の日本人旅行者が撮影した満洲鉄道旅行のスナップ写真を、令和の世によみがえらせてみた。
戦前も「ひかり」「のぞみ」はペアの関係
戦前も、「ひかり」の方がデビューは先だった。
昭和8年(1933)、当時は日本の統治下にあった朝鮮半島南部の港町・釜山から、半島を北上して国境を超えて満洲国へ入り、奉天(現・瀋陽)まで直通する国際急行列車が登場。これが「ひかり」と命名された。翌昭和9年(1934)にはダイヤ改正により満洲国の首都・新京(現・長春)まで運転区間が延長されている。
航空機の利用が一般的でなかった当時、日本列島から満洲へ行くには、東海道本線と山陽本線で下関(山口県)まで行き、関釜連絡船で海を渡り、釜山からこの「ひかり」に乗るのが最短ルートだった。
一方、「のぞみ」は昭和9年(1934)、釜山~奉天間の国際急行として登場。昭和13年(1938)になって新京まで延長された。運転区間はほぼ一緒だが、「ひかり」が昼に走る区間を「のぞみ」が夜走る、というように、「ひかり」「のぞみ」は相互に補完し合う姉妹列車だった。
「ひかり」は戦後の韓国大統領専用客車に
戦前の「ひかり」「のぞみ」は、編成の最後尾に展望バルコニー付きの豪華な展望客車を連結していた。
さいたま市にある鉄道博物館には、戦前の欧亜連絡ルートを紹介するパネルで、「ひかり」の展望バルコニーと食堂車の写真が展示されている。そこに写っている展望車のバルコニーには、「ひかり」とひらがなで大書された列車名のプレートが掲げられている。