関東ヤクザ社会のフィクサー
極東会は新宿歌舞伎町を拠点とする的屋系組織で、組員は500人弱と、山口組、稲川会、住吉会などの巨大組織に比して、規模は大きくないように見える。
だがヤクザ社会での存在感は巨大組織に匹敵する。的屋組織としては国内最大級かつ、老舗だ。その成り立ちは住吉会と似通っている。的屋とは前述の通り、祭りや縁日で商売をする露天商であり、もとは小さな組織がそれぞれ独立していた。それらの的屋を、初代会長の関口愛治がまとめ上げたのが極東会である。
特筆すべきは、五代目会長の松山眞一のカリスマ性である。松山は1984(昭和59)年、西の山口組の東京進出に対抗するために関東の賭博系組織がつくった「関東二十日会」と連携する形で、的屋系組織の親睦団体・関東神農同志会をまとめた。
関東二十日会とは合同食事会を開く友好関係を築き、関東のヤクザ社会を語る上で、松山は外せない存在となったのである。稲川会、住吉会、松葉会といった関東の巨大組織のトップとも親戚づきあいがあり、極道社会のフィクサーといっても、過言ではない。
渋谷での銃撃事件に発展
「極東会指切重傷傷害事件四課共同捜査本部」
池袋署の10階、改装したての殺風景なワンフロアに、パーテーションを立てただけの部屋。そこに看板を立て、警視庁組織犯罪対策第四課第3暴力犯8係は捜査本部を設置した。暴力犯8係の係長は、警部の私である。
帳場はきちんとした部屋の中にあるべきだ。私は基本的には、そう考えている。ガヤガヤしている場所では捜査に身が入らないし、情報が漏れたり、同じフロアにほかの課のシマ(デスクの集まり)があったりすると、違う事件の情報が入ってくるなど集中できない。
共同捜査本部には池袋署のほかに、中野署、駒込署、高島平署のマル暴刑事にも加わってもらった。6人のホシのうち、何人かが管轄にヤサ(編集部注:自宅)を持っていたためだ。ところが、いざ、容疑者たちの逮捕のXデーを迎えようとした矢先、渋谷で被害者の組長の若い衆が銃撃される事件が起きてしまった。
警視庁では目下、「指切事件」を捜査していたので、この発砲事件は、被害者の組長の被害届提出に対する報復と判断されることになった。