お客さんが徹夜で並んで「早く開けろ!」と叫んでいた
だが、いくらオグリキャップが好きでも、この日は仕事である。小川さんたちは前日から競馬場入りし、徹夜で業務にあたった。
「お客さんが徹夜で並んでまして、あまりにも寒いので、地下道を開放してあげようとなったんですけど、開放しても溢れちゃうんです。だから、開門時刻が近づくと『早く開けろ!』って、皆さん殺気立ってましたね。でも、開門のときは『危ないから、新人は来なくていい』と言われて、ぼくらは別の場所を回っていました。柔道の現役でしたし、お客さんとぶつかって、なんか言われたら大変だからということで(笑)」
たしかに、いい観戦場所を求めて猛ダッシュするファンが柔道無差別級の世界チャンピオンにぶつかれば、簡単にはじき飛ばされる。それは大問題になるだろう。
最終的な有料入場者は17万7779人。最多入場者記録を更新
徹夜組が入場しても客はどんどんやってきた。スタンドの改築工事中だった前年は入場制限をしていたが、12月に新スタンド(地上6階、地下1階)がオープンしたばかりのこの年は入場制限がなく、バブル景気と競馬ブームとオグリキャップの引退レースが重なったこの日、最終的な有料入場者は17万7779人にのぼった。いまも残る中山競馬場の最多入場者記録である。現場で仕事をしていた小川さんは言う。
「入場人員が半端なくて、もう、正午の段階で『どうしよう』と現場のほうでは言ってましたね。最後のころは収容人数をはるかに超えていて、『もう入れるな』と警察のほうから指導されていたそうです。それでも、お客さんはどんどん来て『入れろ、入れろ』と言われる。時間的に、それから競馬場に入っても、パドックにも行けないし、窓口には人が並んでいて馬券も買えない。もう、異常な現象がおきてましたね」
悪いことに、新スタンドのどこになにがあるのか、客はまだわからない。バブル期らしくファンの動きよりもデザインが優先されたスタンドで、一列の細長いエスカレーターの前には気が遠くなるような人の列ができていた。馬券は単勝、複勝、連勝複式(枠連)の3種類だけだが、インターネット投票などもちろんなく、電話で買うにも携帯電話も普及していない。この年からマークカードが導入されたが、ベテランファンは口頭窓口で買っている。十数万人がうごめく自由席のファンは、ほかのレースを諦めて前売りで有馬記念の馬券を買い、人の隙間を縫って歩き、レースを見られそうな場所を確保できたら、そこから動かない。そうするしかなかった。