「オグリ! オグリ!」のコールが共鳴し、巨大な塊となった
先頭でゴールインしたオグリキャップは武豊騎手に促されてゆっくりとコースを1周し、ファンの前に戻ってくる。スタンドのあちこちでおきた「オグリ! オグリ!」のコールが共鳴し、巨大な塊となってスタンドを覆った。そのシーンを小川さんも見ている。
「ずっと見てました。『行きましょうか』と言っても、『いま行ってもどうにもならないから、お客さんが引くまで待とう』という話になって。でも、なかなか引かなかったですね。ものすごい余韻がありましたから。あんなふうに観客を感動させてくれるレースって、なかなかないですものね」
ウイニングランが終わり、表彰式も終わり、ファンがすこしずつ動きだすと、小川さんたちも仕事を再開する。
「そこから、ぼくらは競馬場の外の仕事になるんです。当時はまだ白タクがあって、客引きに『あっちに行け、そっちに行け』と言うのが我々の仕事で。それは忙しかったですね。競馬が終わってからも、1、2時間いたかな。お客さん、なかなか引かないんですよ。駅まで人が並んで歩いているし、いろんな商売をする人もいるから(笑)」
長く、しかし嵐のように過ぎた1日だった。それでも、小川さんは「大変というより、楽しかった1日です」と笑った。あの日、群衆のなかを取材して歩き、最後は絶叫していたわたしも、その気持ちはよくわかる。
有馬記念にはいつもドラマがある
あの有馬記念のあと、小川さんはJRAの柔道部員として、91年の世界選手権で無差別級3連覇を達成し、バルセロナオリンピックでは95㎏超級で銀メダルを獲得、全日本柔道選手権は94年の3位を除いてすべて優勝した。そして、97年2月に退会してプロの格闘家に転じることになるのだが、7年間のJRAの職員時代を振り返って言う。
「最後のころはほかの現場にも出てましたけど、それまではずっと有馬記念が現場の仕事でした。トウカイテイオーが1年ぶりのレースで勝ったときも感動しましたね。メジロマックイーンがダイユウサクに負けたり、まさか、という年もあったし、いい思い出となるレースをいくつも見ました。有馬記念って、いつもドラマがあるんですよね」