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――『笑ってはいけない』に「新おにぃ」として登場されたのが2008年……ということは、すでに当時65歳だったと?

前島 そうなんですよね。当時、すでに孫もいました。ははははは~。

新おにぃのアメリカ留学時代

――情報量が多すぎるので、一旦、アメリカに話を戻させてください(笑)。今から50年ぐらい前にアメリカに留学されていたというわけですね。

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前島 そうですね。アメリカにいたのは4年ぐらいですかね。といっても、アメリカっていったって田舎だったもんですから、地味な生活だったんですよね。

 楽しみといえば、飲酒と映画とダンスくらい。私はお酒が強いから、酔わないんですよ。お酒が取り持つ縁で、同じ大学院で生化学を専攻していた現在の妻と出会って結婚したんです。

 飲酒運転をして警察に捕まった友人を警察署まで迎えに行ったり、他州で離婚して慰謝料を払わずにイリノイ州に引っ越してきた友人が、FBIに尋問されている姿も見たことがありましたね。

 

――派手派手じゃないですか。そのとき培った英語が、『絶対に笑ってはいけないホテルマン』などで発揮されていたと。

前島 だと思うんですよね。40年後に役に立つとは思わなかったなぁ(笑)。

――帰国後は、会社員一筋だったんですか?

前島 そうですね。財務にいたもんですから、財テクに興味があったんですよね。働きながら、個人では不動産を買って、投資していました。

 当時って高度経済成長を経てバブルに向かっていく時代でしょ? 田町で3つ、新宿でも2つくらい不動産を買ったのかなぁ。とっても羽振りが良かったですね。今は真似できないけど。

 それで50代になったときに、リタイアする前に副業という形で父親からゆずりうけた不動産会社の社長もやってみたんです。  

 

リタイア後、エキストラモデルに

――「新おにぃ」は社長だった……! モービルをリタイアしたものの、ご自身で不動産会社を経営し、そこからエキストラモデルの道へ進むわけですか?

前島 ですね。リタイヤする頃になって、何かしたいなぁって思って探していたら、シニアのモデル募集というのがあって。私は筋トレをよくしていたもんですから、ソフトマッチョで肉体に自信があったんですよね。