「毒」は誰からもらったのか
「じゃあ、大仁田(隆之)さん(仮名)は?」
「あの人は商売やっとったやろ。商売をやってる人は、事業資金やらなんやらで、自由にできるおカネはないねん。ただ……」
「ただ?」
「私が付き合った人はみんなおカネ持ちやったわ」
「たとえば高橋さんとか片岡さん(仮名)は?」
「ああ、あの人らはそんなになかった。けど、逆におカネがないけどケチやなかったよ」
翌12月20日、前日に続いて私は千佐子に木内義雄さん(仮名)の名前を出した。造園業をやっていた木内さんについての情報を、私はほとんど持っていない。
「え? 木内さん? どんな人やったかな」
千佐子はすぐには思い出せないようだ。それで私は堺市にある彼が住んでいたマンションの特徴を話した。
「ああ、おったねえ。でもあの人は普通の人。おカネ持ちというわけでなく、ハンサムというわけでもない。こっちの言葉でいう『普通のおっちゃん』やね」
少なくとも過去に交際していた相手だったにもかかわらず、彼女の人物評は「普通のおっちゃん」。これだけだった。
この日、私は「毒」こと青酸化合物(裁判では途中からシアン化合物)について質問しようと考えていた。千佐子はこれまで公判で、毒は矢野プリント(仮名)時代に出入り業者から貰ったと証言している。さらにその使用目的は、高級な製品に色の刷り間違いをした際に消すためとしていた。だが、とある人物への取材によって、その証言が疑わしいとの思いが高まったのだ。
ここで割り込むかたちになるが、その人物への取材の内容をあらかじめ記しておきたい。その人物とは、矢野プリントの元従業員・大嶋博美さん(仮名)である。
「矢野プリントでは女の人ばかり、5、6人が働いてました。みんなパートです。奥さん(千佐子)は経理と電話受付、それから配達に行ったり、あと色と色を調合して印刷する色を作ったりしていました。それで工場には長い台があって、流れ作業で私たち従業員が色を重ねていくんです」