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 いずれにせよ、やくざ組織の「社会貢献」は、「やくざ」という認識の裏返しでもあるのです。要するに、無意味な存在であることを認識しているからこそ、役に立つことを強調する局面もあるということです(災害時に「暴力団」がおこなう炊き出しなどが典型です)。これはグレーバーがマフィアについていっていることとおなじです。かれらも最初はじぶんたちも社会になんらかの貢献をしているということをいいますが、しかし、基本的にはおのれの立場に率直です(とはいえ、グレーバーがいうように、これは大部分が「大衆文化」におけるマフィア/やくざ像からの推定なのですが)。

とりつくろわなければならない

 ああ、おれらはこの社会ではごくつぶしさ、という認識があるのがやくざです。ところが、BSJに就く人々は、ここを認められない、というより、そういわない約束になっています。あるいは、それはないことにして「とりつくろい」されます。『ブルシット・ジョブ』でとりあげられる数多くの多種多様なBSJのうちにはいつもこの「とりつくろい」の次元が作用しています。たとえば、ブレンダンという大学の学食でバイトをしている大学生の証言がでてきます。

 わたしはマサチューセッツの小さな大学で、高校の歴史教師をめざしています。最近、学食で働きはじめました。
 

 初日に同僚はこういいました。「この仕事の半分はきれいにみせることで、もう半分は、忙しそうにみせることだな」。
 

 最初の二ヶ月間は、奥の部屋の「監督」をまかされました。人がいなくなると、食器棚のスライドを洗浄したり、デザートを補充したり、テーブルを拭いたりするのです。30分ごとにおこないますが、広い部屋ではないので、ふつうはものの5分もあれば作業はすべてこなせました。しまいには、講義のための本をたくさん読めるようになりました。
 

 ですが、あまり事情をわかってない上司が出勤することもあります。そうなると、つねに忙しくみえるように、ずっと気を配らなくてはなりません。どうして、必要な仕事はさして多くはない、と職務規定で認めることができないのか、わたしにはわかりません。もしも、忙しそうにみせるためにあれだけの時間と気力を投入しなくてもよかったなら、もっと手早く効率的に、読書にもそれからテーブル拭きにも、取り組めたのに(BSJ 112~113)

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 このように、仕事はほとんどないけれども、それを公言してはならず、でも、わかっている人だけだったら、なにかほかのことをやっててもみないふりをするお約束になっているのですが、その空気の読めない上司などがくると、やってるふりをくり広げなければならないのです。