誰も見ない書類をひたすら作成するだけの仕事、無意味な仕事を増やすだけの上司、偉い人の虚栄心を満たすためだけの秘書、嘘を嘘で塗り固めた広告、価値がないとわかっている商品を広める広報――
これらの仕事は文化人類学者デヴィッド・グレーバー氏によって「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」と名付けられた。しかし単に「価値がない仕事」、たとえば「殺し屋」や「詐欺師」などがブルシット・ジョブだと言えるのだろうか。
ここではグレーバーの著書の翻訳も務めた社会学者・酒井隆史氏がブルシット・ジョブについて解説した新著『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)より一部を抜粋し、その定義に迫る。(全2回の1回目/後編を読む)
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寅さんの仕事はブルシット?
グレーバーは、BSJ(編集部注:ブルシット・ジョブ[Bullshit jobs]の略語)の「ブルシット」という言葉のはらむ「あざむき」あるいは「欺瞞」の次元に、マフィアの殺し屋がなぜBSJではないのか、を検討することからアクセスしています。マフィアの殺し屋はBSJかといわれるとなんか違和感がないでしょうか?
無意味で有害かもしれませんが、なんかちがうな、という感じですよね。まあ、もともとそれが「仕事」か、というのもあります。しかし、一番重要なことは、マフィアは率直であるということです。つまり、じぶんたちが「やくざ」な稼業をしていることを認めているということです。そういえば、そもそも「やくざ」という呼称の由来がそうです。「やくざ」とは、もともと花札で複数の札をひいてその合計点によって勝敗を決めるゲーム(「おいちょかぶ」といいます)で、「8・9・3」の組み合わせは0点(全部足すと20で、0とみなされます)で最悪なのですね。この「どうしようもない最悪の目」から転じて、「やくざ」という言葉が、なんの役にも立たない人間という意味で使われるようになったといわれています。
要するに、そもそも「やくざ」という名称そのものが「無意味」という意味であって、「かたぎの社会に寄生して生きるごくつぶし」という一種の自嘲が込められているわけです。たとえば、『男はつらいよ』の車寅次郎は、「どうせおいらはやくざな兄貴、わかっちゃいるんだ妹よ」と、主題歌の出だしから(*1)「じぶんは役立たずの人間である」という自嘲ではじめます。いつかおまえのよろこぶようなエラい兄貴になりたい、とはいうものの、いまの稼業は「ブルシット」であるといっているのです(*2)。もちろん、「やくざ」が、じぶんたちは共同体に貢献しているのだということを強調したり、フロントのなりわいをつくったりしているのもたしかです。
*1 本当に余談ですが、厳密にいうと、この出だしは腹違いの妹・さくらが結婚してからの新ヴァージョンです。最初のヴァージョンは「おれがいたんじゃお嫁にゃゆけぬ」という出だしでした。
*2 ただし、ここでかつての「てきや」といわれる人々の稼業の大事な部分が本当に「ブルシット」であったといっているわけではまったくありません。むしろ社会にとって、重要な役割を担ってきたとおもわれます。
もちろん、そのフロントのなりわいが、名ばかりで実質のないブルシットであることは大いにありそうです……「かたぎ」をフォーマルな金融会社の社長に据えるのだけれども、その社長に実質的な仕事はほとんどないとかです。
そういえば、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ・シリーズのなかに「赤毛連盟」という有名な作品があります。あの話では、赤毛の人物求む、という赤毛連盟という謎の組織からの求人を紹介された赤毛の人物が、たくさん集まった応募者のなかから採用され、毎日午前10時から午後2時までの4時間、事務所にこもって百科事典をただ書き写すだけの仕事をするのですよね。実入りもとてもいい。
ところが突然、赤毛連盟は解散したとして事務所は閉鎖され、この人物は仕事を失います。相談を受けたホームズが捜査をしたところ、実は隣の銀行の地下金庫まで穴を掘るために、この人物を自宅から特定の時間、確実に追い出す必要があった強盗団の仕組んだことだった、というオチです。まさにこの赤毛の人物の仕事はブルシットそのものです。