働いていてもやりがいが感じられない、無駄で無意味な仕事ばかりが増える、社会的価値の高い仕事なのに給料が低い……私たちの社会に散見されるこのような現象は、「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」に起因すると、文化人類学者のデヴィッド・グレーバー氏は論じた。

 多くの人々がそのような不条理を受け入れ、不満を持ちながらも放置し続けているのはなぜなのだろうか。グレーバー氏の著書の翻訳も務めた社会学者・酒井隆史氏は、人々の時間に対する価値観の変化が影響を及ぼしているという。ここでは同氏の新著『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)の一部を抜粋。ブルシット・ジョブが生まれ続ける理由について考察する。(全2回の2回目/前編を読む)

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なぜ無意味な仕事をするのか

 そもそも、なにゆえ人は、実質的にやることがないのに仕事をでっちあげてでもさせようとするのか、しなければならないと考えているのか、です。

 仕事は、ひとまずなんらかの目的達成を名目としているはず。だったら目的達成したら、その時点で帰ってもいいとなりそうなものです。「市場原理」からしても、です。ところが、そうならないから、BS J(編集部注:ブルシット・ジョブ[Bullshit jobs]の略語)が生まれ、数々の証言となって『ブルシット・ジョブ』に報告されているわけです。

   グレーバーはここでじぶんが学生時代にバイトした例をあげています。レストランのバイトです。バイト仲間といっしょに、最初はいわれた作業を最速で仕上げようと、全力をあげて短い時間で与えられた作業を終えます。当然、ボスからはほめられるとおもいますよね。ところが、ほめられるどころか、イヤな顔をされて、怠けるんじゃないよ、と叱られます。それでグレーバーたちは、つぎからはのろのろと仕事をすることにした、とそんなエピソードです。

 作業を効率よくすますことよりも、とにかく仕事時間中はずっと仕事をしている様子をみせることや、がんばっているふりをしていることのほうが大事、ということは往々にしてあるのです。

普遍的な仕事のあり方

 実は、労働するとは、だれかがじぶんの時間を買ったことだ、だから、その時間内は労働をしなければならない──たとえすることがなくても──という発想は、けっして普遍的なものではありません。それどころか人類の歴史のなかでは、きわめてマイナーな、しかもごく最近生まれた「常識」であり、慣習でしかありません。

 それでは、より普遍的な仕事のあり方はどのようなものか。それは「周期的激発性」といわれるようなものです。

 つまり、仕事にふさわしいとき、それが必要なときに集中的に仕事をして、それ以外は、ぶらぶらしているとか、好きなことをしているとか、寝ているといったありようです。