狩猟採集民はそうですし、農民も典型的にそうです。繁忙期と農閑期がわけられ、人はそこで繁忙期に集中的に労働をします。あるときには、種まきや収穫に全人員と全精力がつぎこまれますが、そうでないときには、道具の手入れや縫物、こまごまとした作業、あるいはたんにぶらついたりしてすごす、こうした周期的パターンです。技術が向上して生産力も上がった江戸末期には、農村では休息日が一年のうちの相当を占めるようになっていたという話はきいたことがあるかもしれません。これはヨーロッパもおなじです。
もう少し身近で考えれば、たとえば職人を考えてもいいかもしれません。あるいは、作家でもいいかもしれません。もっというと、これはグレーバーが好んであげる例ですが、みなさんのほとんどがおもいあたることです。つまり、多くの人は、いま学生であるかどうかはともかく、ふだんから勉強しているわけではなく、試験間際に、それこそしばしば劇的に集中的に勉強したでしょう。もちろん、ふだんからコツコツと勉強して、試験にもあわてないという人もいるとおもいます。ですが、それは希有でしょうし、そういう人物のほうがとかく「変態」扱いされがちですよね。わたしたちの同業者も、原稿を書くにあたって、たぶんよっぽど立派な人でないかぎり、締め切り間際になって、あるいは締め切りがすぎてから(!)、激発的に仕事に集中しているとおもいます。
「タスク指向」と「時間指向」
グレーバーはここで、イギリスの歴史家E・P・トムスンの論文「時間、労働規律、産業資本主義」を参照しています。この論文は、たとえばミシェル・フーコーの『監獄の誕生』を筆頭にそれ以降の研究に多大なる影響を与えました。そこでトムスンは、ヨーロッパにおける時計の発明と浸透、そしてこの技術的変化と並行しながら起きていたモラルの変化──商人たちのなかに起きていた時間を有効に使わなければならないという変化──が、いかに18世紀の産業革命以降の動きのなかに組織化され、産業資本主義や近代国家の形成を可能にしたかを、説得力あるかたちで論じています。