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ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか (講談社現代新書)

 しかし『ブルシット・ジョブ』であげられた証言をみればわかるように、実際には、たとえそのほとんどがBSJであっても、たとえば週に1度とか、月に2、3度は必要なときがあるわけです。基本的に待機しておくことが重要である仕事は、そもそも周期的形態をとるはずです。そのような現実的な仕事のパターンに、「時間指向」(タスク指向に対立する近代的仕事を表現する概念です)の仕事の形態を押しつけようとするところに、ブルシット化の圧力が押し寄せてくるわけです。そして「時間指向」の仕事のパターンの文脈には、時計によって計測された抽象的時間の浸透と、それを媒介とする労働者の身体や生活の規律があったわけです。

 われわれの社会は、必要なときにガーッとやってそうじゃないときにはゆるくしているといった労働形態をゆるさない、仕事の性格おかまいなしに時間でいわば抽象的に区切る、そういう強制がはたらいています。先ほどのトムスンの言葉にもあるように、「みずから労働生活を統制している場所であればどこでも、労働のパターンは激しい労働と怠惰とが交互にくり返される」。ということは、逆にいうと、みずから労働生活を統制していない場所に、このような時間指向の労働形態があらわれるのです。これがおそらく賃労働制と呼ばれるものと関係していることは、みなさんもなんとなくおわかりでしょう。

「時間指向」と人間の限界

 ここは大事なので、少しふれておきたいとおもいます。

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 みずから労働生活を統制する、ということは、いささかむずかしい専門用語では、「労働過程のイニシアチヴを直接生産者が握っている」と表現されたりもします。資本主義以前の労働過程は、たいてい直接生産者が握っていました。これは封建制においても変わりません。