壮大な「裸の王様」ゲーム
最終作業定義:BSJとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でさえある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、被雇用者は、そうではないととりつくろわねばならないと感じている。(BSJ 27~28)
要するに、BSJは、みずから意図して他人をだましている詐欺師とはちがって、ウソをついて「とりつくろう」よう余儀なくされているというふうに感じられている、しかもそれが、雇用の条件のひとつとして「とりつくろう」よう余儀なくされているということです。
かんたんにいうと「空気」です。ほとんどウソで成り立っていて、だれもがそれを知っているが「空気」でもってそれはいわないことになっている、というようにしてつくられた世界です。『ブルシット・ジョブ』を構成するさまざまの証言を読むと、空気を読むのはなにも日本に特有の文化なのではないことがよくわかります。
『ブルシット・ジョブ』に奥行きを与えているひとつが、この「とりつくろい」がもたらす、職場でくり広げられる「make-believe」つまり「演技(ごっこ)」の世界です。「make-believe」とは、ふりをする、みせかける、いつわりの、といった意味です。BSJ論は、それによって現代世界を、壮大な「裸の王様」ゲームの悲喜劇に仕立てているのです。これは、グレーバーというか人類学のお得意とする領域です。
グレーバーは『ブルシット・ジョブ』の数年前に公刊された『負債論』では、金融テクノロジーが動かすスマートを自称する現代世界を、マネーという物神にひざまずき、その物神を負債というかたちでやりとりしては野蛮なるヒエラルキーを強化しあっている、壮大な「未開社会」のようにえがきだしてみせました。『官僚制のユートピア』では、これもまた現代世界を、ほとんど意味がなく不条理ですらある膨大なペーパーワークからなる、おそるべき儀礼社会としてえがきだしてみせました。今度は、仕事と名づけられた「みせかけ演技」からなる、空疎な世界として現代社会をえがきだしてみせるのです。
【続きを読む】全力で仕事をしたのに「怠けるんじゃないよ」と叱られて…努力より“忙しいフリ”が評価されるブルシット・ジョブの大きな“問題点”