やり直せる人生が良い
この作品を貫く価値観の根底にあるのは、炭治郎のセリフに象徴されるように「人は苦しいことがあっても、悲しいことがあっても、それでも生きていかないといけない」ということだ。主人公は悲しみを背負いながら、生きていくことを選ぶ。「お前に何がわかるんだ」と言われたとしても、少年漫画らしいまっすぐさを失わず、時に悲しみや慈愛に満ちた表情で生を肯定する言葉を選び続ける。
「あとは鬼ですよね。鬼も元は人間じゃないですか。鬼が単に悪役なら、ここまで入り込むことはなかったと思うんですよね。悲しいし、辛いこともいっぱい経験していて、あぁ鬼にも鬼になる理由があるんだなって。単に悪役じゃないところも好きですよ」
彼女が特に好きだと語っていたのは、物語の象徴的な場面で登場する鬼の生い立ちだった。その鬼は人間時代、貧困家庭に生まれた男の子だ。幼少期に貧困から逃れるために、自身が手を染めた犯罪がきっかけになり父親が自死を選ぶ。自暴自棄になり、暴力に明け暮れる日々を送る彼を救ってくれたのが武道の師範だった。師範の家に拾われ、娘と恋仲になり、幸せな日々を送っていたが、また事件が起きる。師範と恋人が殺害されてしまったのだ。
自分たちと直接戦っても勝てないことを知っていた犯人たちは、井戸に毒を入れるという方法で殺害した。それも彼がいない時間に。彼は自分の無力さを責めた。報復のために暴力を使い、関係者を殺害した後、自分の弱さを克服するために彼は鬼になった。人生をやり直そうと思っていたにもかかわらず、それすら叶わない。すべての生活がどうでもよくなってしまった彼にとって、生きるために必要だったのは鬼になって、人間以上の強さを手に入れることしかなかった。
最初は悪役でしかなかった人間を食べる鬼たちが、実は心のうちに弱さを秘めた人間だったという事実が、作中では淡々と回想シーンで明かされる。虐待やネグレクトといった過去を抱える登場人物は、鬼も含めて決して少なくない。鬼は鬼で、不幸を乗り越えるために鬼にならざるを得なかった。確かに鬼は人間以上に強いが、そんな強いはずの鬼がうちに秘めているのは、実に人間らしい弱い心だ。
そんな鬼についてひとしきり語った時、彼女はぽつりとこうつぶやいた。
「やり直せると思っていたのに、やり直せなかったら、人生って切ないよね」
そう、彼女もまた人生をやり直している最中にいるのだ。人生に何度かやってきた苦しい時期を乗り越えて、それでも一人で生きていく、そんな決意を秘めて。「きょうもこれから仕事だけど、映画観て元気出ましたね」といって、彼女はカップに残ったカフェオレをすべて飲みほして、夜が深まっていく新宿の街に歩き出した。