みんな「敵」を探している
2020年の夏、新型コロナ禍で新宿区に感染者が続出した時、社会では圧倒的にバッシングが優勢だった。「夜の街」というレッテル貼りが横行し、「新宿区を封鎖しろ」「ホストとキャバクラだけでなく、風俗店もダメだ。営業を停止しろ」という声が圧倒的に多かった。「新宿」「歌舞伎町」という言葉自体が巨大な記号となってしまい、具体的な対策を冷静に議論するのではなく、とにかく敵を見つけ、名指しし、排除も差別もまったく問題ないと考える人たちの声が日増しに大きくなっていた。
私には、彼らの言い分は、嫌なものは嫌だと言っているようにしか聞こえなかった。リアルな現場を取材して歩いていれば、この街やその界隈に集まっているのは、社会的な強者ばかりではないことはすぐにわかる。彼女のように「やり直し」に人生を懸ける人もいれば、地方から身一つで出てきた人々も息を潜めながら生きている。安易なバッシングを続けたところで、彼らの生活は何も変わらない。
「鬼滅の刃」で不幸なのは当然ながら、鬼だけではない。主要な登場人物には何らかの不幸な出来事がやってきている。鬼と同等といってもいいくらいの困難を与えられているが、彼らはやり直している。作品内で人間と鬼を分けている最大の一線がある。それは人間が未来を信じていることだ。明日や次の世代のために精いっぱいに生を全うする道を選び、しかも一人ではなく、みんなで協力して目の前の鬼や困難に立ち向かい、未来を切り開こうとあがく。しかし、鬼は最後まで孤独であり、最後まで自分一人のことばかりを考えている。
「やり直す」ことが肯定されない社会はどこか息苦しい。励ましてくれる人がこの社会では少なく、もしかしたら、この作品が最後の救いになっているという人は決して少なくないのかもしれない。彼女の言葉をもう一度、思い返しながら私は新宿駅に向かって歩いていた。
「やり直せると思っていたのに、やり直せなかったら、人生って切ないよね」
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