広場の真ん中にそびえ立つ「シンボル中のシンボル」のナゾ
このビナウォーク、海老名駅前のシンボルのさらにシンボルなのが、広場の真ん中にそびえ立っている塔である。通天閣とか東京タワーとかそういう塔ではなくて、法隆寺のような古いお寺にあるタイプの塔だ。
だいぶ前に海老名に来たとき、時間つぶしにビナウォークを歩いたことがあったが、そのときも原色系商業施設の真ん中に建っている五重塔らしきものが気になってはいた。気になりつつも時間がなかったのもあってそのままにしていたのだが、今回はその正体をつかまねばならない。
と、勇躍五重塔の足下に近づいてみると、あたりまえだが説明書きがあった。読んでみると、そもそもこれは五重塔ではなくて七重の塔だという。重なっている屋根の数を数えてみると、確かに7つ。法隆寺だって五重塔なのに、それ以上とはなかなかすごい。日本全国津々浦々、近代以前に建てられた木造の七重塔はひとつたりとて残っていないという。
いったいなんで、ビナウォークに七重塔なのか。
じつはビナウォークよりも…
海老名のまちは、古代相模国の国分寺が置かれた地であった。駅前からビナウォークを抜けて少し歩き、相模川の河岸段丘の崖を登ったところには国分寺跡も史跡として整備されている。国分寺とは、奈良時代に聖武天皇がお触れを出して全国に設置されたお寺のこと、と教科書に書いてある。東京は中央線、国分寺駅は武蔵国国分寺跡地に近いことから名付けられた地名だ。
海老名はつまり、相模国国分寺のまちということで、駅の北東側、相鉄線の沿線には国分という地名も残る。そんな町の悠久の歴史を後世に伝えるべく、駅前にシンボルとして建てられたのが七重塔なのである。
七重なのは、聖武天皇のお触れで設置された国分寺にはおおむね七重塔が建てられていたからで、実際に相模国国分寺にも七重塔があったという。ビナウォークに建っているのは3分の1サイズの“ミニチュア”だとか。それでも見上げるほどに大きいのだから、実際の古代の七重塔、当時からしてみたらスカイツリー以上の規模感だったのかもしれない。
ビナウォークの七重塔は、実はビナウォークよりも歴史が古くて1992年の“建立”。海老名市市制20年を記念して、駅前の海老名中央公園に建てられた。その後、周囲が開発されて中央公園を取り囲むようにしてビナウォークが現れた、というのがおおよその流れである。