ただし、古くからの中心が崖の上、駅は崖から降りた相模川沿い、という事情もあって海老名駅周辺の開発は遅れに遅れた。海老名サービスエリアが開業した1968年の時点でも、海老名駅の周りはとりたてて何もない田園地帯に過ぎなかった。
海老名の町の中心へのアクセスという事情ではなく、神中鉄道(現在の相鉄本線)と小田急線の交差という鉄道サイドの事情によって生まれた駅だったということが発展を遅らせたのだろう。
ようやく駅前の発展がはじまったのは1980年代以降になってから。田園地帯が市街地へと用地転用され、少しずつマンションや商業施設が生まれていった。
1987年には地元の請願によって相模線(当時はまだギリギリ国鉄)にも海老名駅が開業。1993年には日本で初めてのシネマコンプレックスとされるワーナー・マイカル・シネマズが誕生する。これがいまのイオンシネマ海老名だ。
さらに2002年にはビナウォーク、2015年にはついに駅の西側にも開発の手が伸びて、自由通路の完成とともにららぽーと海老名がオープンしたのであった。
開発はさらに続く「海老名」の2020年代
こうした海老名の町の歩みを振り返ると、古く国分寺が置かれて大山道の要衝だった崖上に生まれた町がその発端。昭和に入って崖の下の相模川沿いに駅ができ、1980年代以降に急成長して商業施設が駅を取り囲むターミナルへと変貌していったのだ。
海老名駅の再開発はまだまだ途上。2021年にロマンスカーミュージアムがオープンし、2022年には駅直結のオフィスビルも完成する。肝心要、というか小田急の存在感が強すぎてJR相模線も相鉄線もずいぶん地味なのだが、そもそも初めて海老名に駅を設けてくれた相鉄線も目下駅ビルを建設中だ。2026年度には相鉄線の海老名駅ビルも完成する予定だという。
こうして相模川沿いの低地に生まれた古代国分寺の崖下の町のターミナルは、相模地方随一の商業地に向かって発展を続けている。古い中心の崖上にもいくつもマンションができていて、まさに“ベッドタウン”としてはうってつけなのだろう。
歴史を知れば、原色系商業施設のビナウォークを歩く気持ちもいくらか変わる。こんにちの海老名駅の賑わいは、ビナウォークあってこそ。新しいららぽーとに行く人も多いのだろうが、やっぱりビナウォークも忘れてはならない(駅前でめちゃくちゃ目立つので忘れようがないんですけどね)。
1日海老名駅周辺を歩き回って、再び新宿に戻る。海老名駅から新宿へは、小田急線だけでなくJRとの相互直通運転をはじめた相鉄線に乗っても行くことができる。行きと帰りはルートを変えるのが旅の要諦だ。相鉄本線の特急新宿ゆき。これに乗ると新宿駅まで……なんと1時間10分弱。さすがに30分近く余計に時間がかかるとなると、小田急線に乗ってしまいますよね……(相鉄さんの名誉のためにいっておくと、横浜駅までなら30分くらいです)。
写真=鼠入昌史
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