浅田 「好色成道」も寄り道なしですね。ストレートに話が進行します。
小朝 エッチしたいばかりにがんばって修行するんだけど、女性のハードルが上がっていくっていう、それだけのことですけど(笑)。男の馬鹿馬鹿しさですよね。女性の誘惑に負けて。お坊さんが滑稽であるというのは、笑いとしては作りやすい。最初が硬派なので、パッと軟派にすると、おもしろくなります。
浅田 主人公が化かされずに、自分で気がつきます。あれが仏様だと言い切らないのが、小説家の上手なところですね。お坊さんがあとで勝手に言っているってところに現実味があって。
小朝 親近感というか、“こういうことあるよね”っていう感覚があります。落語には意外と少ないんです。
傷つかないふりをしてるけど
小朝 「入れ札」は、僕が落語にした一作目で、一瞬にしてパッとアイディアが浮かびました。
浅田 国定忠次が逃げているとき、誰を連れていくのかを入れ札で決めるっていうのは、オリジナルな発想だと思います。だって、選挙でしょ。民主主義が前提だから、江戸時代にはありえない。指名か話し合いになります。菊池寛は選挙に出馬した経験もありますから。
小朝 あれは浅田先生の「天切り松 闇がたり」シリーズがベースにあるんです。あの語り口というか、読んだときの記憶が、どこかに残っていたんでしょうね。こういうふうに作っていったらどうだろうって、一瞬にしてよみがえりました。ここでウッドベースを鳴らして明転しよう、ここでカットバックしてサスペンスタッチにしようって、同時にイメージがわいて。
浅田 ありがたいですね。
小朝 ピンスポットの世界で、いろんなイメージがふくらんでいく。菊池さんの「入れ札」は、芯の部分で共感できます。たくさん弟子がいる場合、みんな平等なのかっていうと、そうはいかない。序列もある。逆の立場で自分が弟子になったら、師匠から見て何番目なのかなって思いますし。
浅田 小朝さんの「入れ札」は(立川)談志さんの話から入っています。談志さんも亡くなって、何年になるだろう。
小朝 十年ですか。最近の若手は、談志師匠の高座を聞いてないんですよ。(古今亭)志ん朝師匠も聞いていない。
浅田 生で聞いてないんですか。
小朝 談志師匠が亡くなる1年ぐらい前に楽屋に行ったら、前座さんが「あの人誰ですか?」って言ったっていう話があるぐらいで。
浅田 えー!