稲葉くんは0.1秒くらいで指す感じでした
――お二人がプロになられたのは、当時から、特別な教えなどをされたからなのでしょうか。
井上 うーん。特に教えたこともないですけどね。彼らは、今から考えたら才能抜群やったと思いますね。当時はよくわからなかったんですが。
――当時は、どういったお子さんだったのでしょう。
井上 稲葉くんは指し手が早すぎてね。0.1秒くらいで指す感じでした。1局、2分とか3分で終わってしまう。とにかく早くて「むちゃくちゃやな」という印象でした。稲葉くんは、強くなるかどうかはよくわからなかったですね。お兄ちゃん(アマ強豪の稲葉聡さん)と一緒に来てまして、お兄ちゃんのほうが常に香車一本くらい強い感じでした。
――船江先生は、稲葉先生のひとつ上。
井上 そうですね。船江は気がええから、おっちゃんに人気がありましたね。あんまり圧倒的な強さというのはなかったんですが、要所要所で切れ味の鋭い手を指すんでね。なんか才能ありそうやけど、ポカもよくするし……。それで可愛がられてました。
――大人の印象は、子どもによってだいぶ違うわけですか。
井上 子供って落ち着きがないから、大人にはだいたいうっとうしがられるじゃないですか。稲葉くんなんてね、すぐ指して横向いたりしてるから、ものすごく嫌われてました(笑)。でも船江くんは、愛想いいしね、適当に負けたりするから「コウヘイくん。コウヘイくん」って可愛がられていましたね。
――出口先生(若武四段)も小さいときから教室に通っておられたんですか。
井上 そうですね。彼も才能はあると思いましたね。ただ、当時は生意気というか、口のききかた知らんというか。天真爛漫なところがあって、ちょっとそのへんはどうかなと思っていました。彼は才能のわりにプロになるのが遅れましたね。
ある日、連盟に手紙が来てたんですよ。「弟子にしてほしい」と
井上慶太門下生で、今、プロ棋士であるのが、前述の稲葉八段と船江六段、出口四段、そして菅井竜也八段である。ただ、菅井八段は、加古川の地で将棋をしてきたお三方と違って入門の経緯が違うという。
井上 ある日、連盟に手紙が来てたんですよ。名前は菅井竜也。住所は岡山県やし、名前も聞いたこともない。何かなと読んだら「弟子にしてほしい」と書いてあった。
――それでどうされたんですか?
井上 当時、岡山県には有吉先生(道夫九段)がいらっしゃって、岡山の子は有吉門下になるのが、なんとなく慣いでしたので、ちょっとえらいことやなと思いました。それで、岡山に北村先生(北村實棋道正師範)という大山名人記念館の館長もされていた方がおられて「こういう手紙が来たんですが、どうしたらいいですか?」と相談させてもらったら「一度、会ってみてくれないか」と言われまして。なんでも、菅井くんがもともと北村先生に相談してたようなんですよ。最初は「羽生さんか森内さん(俊之九段)の弟子になりたい」って言っていたそうですが、北村先生から「それは無理じゃ」と言われたみたいです(笑)。それで、僕の名前が出たそうです。
――どういった理由で?
井上 NHK杯を見ていたとき、僕の解説が面白いのと、同じNHK杯で僕が対局しているときはすごく真面目だったので、そのギャップがすごいと言ったそうですね。