文春オンライン

2022/01/08

「孤独は自己責任」と考える国・日本

 しかしそんな社会において、豊かな人間関係を持てるのは、例えば経済的資源に恵まれた人たちである。要は資源を持てる者の元には人が集まり、そうではない者は人間関係から排除されるということだ。そして前掲書によると、孤立のリスクはそんな資源の有無によって、親の代から子供に受け継がれることが分かっている。

 自己責任化で思い出すのは、2018年に英誌エコノミストなどが日米英3カ国を対象に行なった「孤独」に関する意識調査である。そこでは「孤独は自己責任」と考える人が日本で44%に上り、米の23%、英の11%に比べて抜きんでて多いことが判明した。何か事件が起こる度に、よく当人が「社会から孤立していた」と騒がれるが、自己責任で片付けていることをまず問題視する必要があるのではないだろうか。

©️iStock.com

 日本は昨年、イギリスに次いで、孤独・孤立対策担当大臣を設置した。私も実態調査に関するヒアリングに呼ばれたため、官僚の人たちに凄惨な現場と、そこで必死にもがいている人々の活動を伝えたが、もはや一刻の猶予もないといっていい。

多くの人が排除されない社会を

 特殊清掃現場には、部屋の全部に目張りをしていたり、シャッターを下ろして外界と遮断したような部屋とよく遭遇する。部屋の中で餓死していたと思われる事例も見聞きしている。

 そんな時、私は自分がひきこもりだった頃のことを思い出す。私が学校に行けなくなったのはクラスでのいじめが原因だったが、ひたすら「こうなったのは自己責任で、全部自分が悪い」という言葉に支配され、自らを追い込んでいた。社会から排除されているという孤独感が募り、心も体も蝕まれ、辛くてたまらなかった。そして学校からドロップアウトした自分自身を毎日激しく責め立てていた。

 私はその後支援者の助けがあって、ひきこもり状態から脱した。

 しかしそのままひきこもりが長期化していたら、社会から孤立し、助けを求める気力すらなく、崩れ落ちていたかもしれない。当時の身を引き裂かれんばかりの孤独感は、今思い出しても胸が苦しくなる。私自身そんな経験を持つ当事者ということもあり、社会から零れ落ちた人たちに目を向ける必要があると強く感じずにはいられない。

 まずは孤独・孤立についての自己責任化の流れに抗うこと、社会で傷付き生きづらさを抱えた人々に寄り添うことなど、私たちができることはいくらでもあるはずだ。多くの人が排除されない社会を望んでやまない。

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