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――それでも、第1案と第2案のどちらかを選ぶのは悩ましかったのではないでしょうか。

木村 気楽に楽しくやっていましたけど、最後の最後まで意見を出し合って。じゃあ、両方の案でそれぞれ歌って録ったテープと歌詞を宮崎さんに送ろうと決めたんです。私自身は第1案が気に入っていることはお伝えしましたが、「どちらかを選んでください」とは書きませんでした。

――そうして出来上がったテープを宮崎監督へ送る際、どんなメッセージを書いたんですか?

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木村 どうだったかな……。「覚さんという作詞家の方が稽古仲間で、一緒に作ってみました。聴いてみてください」程度のようなものだったと思います。あとは「『煙突描きのリン』に合うかなと思って、もしその企画が実現するようでしたら、考えていただければ嬉しいです」みたいなことも書きました。

 

「『煙突描きのリン』が挫折しました」

 1999年の5月に送って3カ月くらいしてから返事が届いたんですけど、「残念ながら、かんじんの『煙突描きのリン』が挫折しました」と書いてあって。でも、宮崎さんは結局第1案がいいと思ってくださったようで、「くり返し くり返し聴かせていただきました。いい歌です。詩も素敵です。煙突の上でこの歌を口ずさむリンの横顔が目に浮ぶようです」「いつも何度でも イイ歌です。遠くを見つめる澄んだまなざしと、近くのものへのやさしさと両方を持っていて、その上、風を感じます。どうか大切に育てて下さい」と、曲への思いを書いてくださいました。

――「『煙突描きのリン』が挫折しました」とは、木村さんにとってやはりショックが大きかったのでは。

木村 いやいや、そんなにショックではなかったです。曲を聴いてくださって、気に入ってくれたということが嬉しかったし、「やっぱり、宮崎さんはわかってくださる方だ!」みたいな気持ちもありましたからね。「よかったね」と、覚さんと一緒になって大喜びしました。

写真=末永裕樹/文藝春秋