近年、韓国発のエンターテインメントの世界的な活躍のニュースは毎日のように目に入ってきます。7人組ボーイズグループBTSの国連でのスピーチやパフォーマンス、Netflixドラマ『イカゲーム』や『愛の不時着』の世界的ヒット。
その韓国エンタメ産業の躍進は、実は韓国社会の変化と大きく結びついています。90年代後半、日本の大衆文化ファンの韓国の若者たちをルポし、現在もソウルに住み文春オンラインに韓国をめぐるニュースを執筆するノンフィクションライター・菅野朋子氏は、新著『韓国エンタメはなぜ世界で成功したのか』(文藝春秋)で、その韓国エンタメの世界席巻に至るあらましと、いまなお残る前時代的な闇を、様々なエピソードを交えながら、わかりやすく解説しています。ここでは同書から、韓国エンタメ界における重要なピースについて抜粋、紹介します。(全2回の1回目/後編を読む)
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韓国エンタメ界の雄、CJグループとイ・ミギョン
2010年代に入ると、映像に限らず、韓国のエンタメ産業を牽引する企業が生まれた。「CJ ENM」だ。
CJ ENMは、財閥CJグループの企業。韓国のエンタメ産業の現在を語るのに、このCJグループは外せない存在だ。
CJグループは、食品やそのサービス、生命工学、流通、エンタテインメントを四大事業としている。その中心企業である第一製糖(韓国語でチェイルジェダン。頭文字をとってCJとなった)は、もともと現代韓国を代表する巨大財閥サムスングループの企業だった。
植民地時代にイ・ビョンチョル氏が設立したサムスンは小さな商社から身を起こし、朝鮮戦争後、製造業に関わるようになった。そのときつくられた最初の企業が、第一製糖だった。
長男が後継者とならなかったことは韓国では異例なこと
同社は韓国で大成功を収め、現在も韓国国内の砂糖生産のシェアのおよそ5割を握っている。1995年に筆者が韓国留学していたころは、「砂糖の会社」の印象がまだ強かった。
この第一製糖は1993年にサムスングループから分離することになり、97年に完全に独立して新たにCJグループとなる。そこにはサムスン創業者一族の後継者問題をめぐる背景があった。
サムスングループを起こしたイ・ビョンチョル氏には、3男5女がいた。87年に他界したビョンチョル氏の後、同グループを継いだのは、そのうちの3男、2020年に亡くなったイ・ゴンヒ氏だ。長男のイ・メンヒ氏(故人)がサムスングループを継ぐことはなかった。
長男が後継者とならなかったことは韓国では異例なことで、当事者たちも思わせぶりな言葉を残して物議をかもしたが、そのメンヒ氏の長男、イ・ジェヒョン氏(現CJグループ会長)が、サムスングループから分離しCJグループを作った。
1960年生まれのイ・ジェヒョン会長はイ・ビョンチョル氏の男の初孫として、ビョンチョル氏に幼い頃から厳しく教えられ、「リトル・イ・ビョンチョル」といわれたという。