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但馬阿闍梨を一蹴する義経

 つまり、但馬阿闍梨の言によれば、本来ならば義経は命がないところなのだが、ここ奈良は「仏法興隆のところ」なので、命は助けて髻切りか、耳鼻削ぎで赦してやる、というのだ。とくに配下の者たちに対して「度々慮外して(また思いちがいをして)」という言い回しをしているところがミソである。ここでは、配下の者たちが「仏法興隆のところ」であるにもかかわらず、過去に何度か自制心を失って人を殺めたことがあると匂わされている。「おとなしくしてりゃあ、今日のところは命は助けてやるが、うちの若いもんは何をするかわからねえ連中だぞ」というわけである。 

 ただ、喧嘩のなかの脅し文句とはいえ、ここでの発言は興味深い内容をもっている。髻とは、髪を頭頂部で束ねている部分。ここを切られると髪がまとまらなくなってしまい、はなはだカッコ悪い姿になってしまうが、当時、髻を失うということは「人でなくなる」のと同義で、「カッコ悪い」どころか「死」に準ずるほどの屈辱だった。この発言のなかで耳鼻削ぎは、その髻切りとならんで、本来なら殺害されるはずの者に対して、そのかわりに罪を減じて命を助けてやる措置として提示されているのである。 

義経に但馬阿闍梨が命乞い(『義経紀』国立国会図書館蔵)

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 さて、この喧嘩の勝敗はどうなったのか? 当然ながら、天下無双の武芸者である義経のまえに、但馬阿闍梨の一党はひとたまりもなかった。義経は彼らの繰り出す薙刀を4つに斬り刻んだかと思うと、あっという間に5人を打ち倒してしまう。そして、一人残った但馬阿闍梨も泡を吹いて逃げ去るが、それもやがて義経に追い詰められてしまう。上の図は、『義経記』に載っている、そのときの場面を描いた挿絵である。ちょっとユーモラスな絵だが、首や足を斬られている配下の者たちの死体のまえで義経に命乞いをしている但馬阿闍梨が描かれている。