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耳鼻削ぎは「人命救済措置」

 「命は惜しいか」と問う義経に、但馬阿闍梨はさっきまでの威勢はなく、ただ怯えながら「生をうけた者で命が惜しくない者がいましょうか……」と答える無様さ。これに対して、義経は次のように言う。 

「首を切って捨てばやと思へども、汝は法師なり。某は俗なり。俗の身として僧を切らん事、仏を害し奉るに似たれば、汝をば助くるなり」 

 「殺してしまおうかとも思ったが、但馬阿闍梨はいちおう僧侶であり、自分は俗人である。俗人の身で僧侶を殺めるのは仏を殺めるのと同じことだから、助けてやろう」と言って、義経は但馬阿闍梨を助けることにする。しかし、但馬阿闍梨に「以後二度とこのようなまねをするなよ」と諭した後、義経は「明日以降、奈良で源九郎義経と戦ったと言えば、さては勇気ある者よと褒め称えられるだろう」と告げる。そして「その証拠はどこにあると人から聞かれたとき、何もないというのでは信じてもらえないだろうから、これを証拠にせよ」と言って、義経は但馬阿闍梨を仰向けにひっくり返し、胸を踏んで刀を抜くと、その耳と鼻を削ぎ取ってしまったという。 

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 さきほどは但馬阿闍梨の言葉で「命を助けるかわりに耳鼻削ぎ」という言説が述べられていたが、こんどは逆に義経が但馬阿闍梨の命を助けるかわりに、実際に彼を耳鼻削ぎに処している。この一連のエピソードのなかで耳鼻削ぎは、やはり本来なら殺害されるべきところを特別にその罪を免じてやった者に対する代替的な刑罰、いわば宥免(ゆうめん)刑、人命救済措置として位置づけられていることがわかる。