フランチャイズでの店舗経営は、厳しい売上ノルマが課せられたり、夜遅くまでの残業が常態化したりと、厳しいイメージが持たれることも珍しくない。しかし、作業服メーカーのワークマンは、フランチャイズの「ブラック」なイメージを覆し、全国に店舗を展開し続けている。

 ワークマンで専務を務める土屋哲雄氏の著書『ホワイトフランチャイズ ワークマンのノルマ・残業なしでも年収1000万円以上稼がせる仕組み』(KADOKAWA)では、ワークマンが挑戦する「これからの働き方」が紹介されている、ここでは、同書の一部を抜粋。フランチャイズ店舗を経営するオーナーたちの本音に迫る(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

つらい時期をいかに乗り越えたか

 ワークマンのフランチャイズには歴史がある。

 以前からどの店舗でも好調な売上げをキープできていたわけではなく、苦しい時期を経験している店舗もあった。とくに「リーマンショックのときはつらかった」という声は多く聞かれる。建設業界では2008年から2010年にかけての失業率が高く、就業者が50万人以上減少したといわれている。職人さんを主な顧客としているワークマンの売上げが落ちるのは避けられなかった。

 その頃にもホワイトフランチャイズといえる状況だったかについては加盟店ごとに判断してもらうしかない。

 長くフランチャイズを続けている店長たちは、これまでの歴史やリーマンショックのようなつらい時期をどのように感じているのか?

 読者の皆さんに提示したいだけでなく、我々としても気になるところだ。

写真はイメージです ©iStock.com

「いい選択をした」と思う、28歳での決断

「ワークマンって何屋さん?」

 岩手県のワークマン北上常盤台店の店長である瀬川勝彦さん(56歳)は1993年の加盟なので、キャリアは30年近い。社員以上にワークマンを知っている人だともいえる。

 ワークマンを始めたときの状況から振り返ってもらった。

「私は以前、流通の仕事をしていて、何か自分で仕事を始めたいと考えていたときに雑誌に募集告知が載っていたのを見つけて加盟にいたったんです。コンビニなんかも考えましたけど、初期資金がワークマンのほうが少なくて済むので迷いませんでした。その段階で28歳でしたね。いま振り返っても、自分ではいい選択をしたと思っていますよ」

 歌手の吉幾三さんが出演するお馴染みのテレビCMが始まったのが1987年だ。90年代初頭のワークマンはまだ100店舗規模のチェーンであり、店内の様子は一般的な作業服店と変わらなかった。瀬川さんはそういう時代に店長になっていたわけだ。