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「ブラックですか? う~ん…」フランチャイズオーナー歴約30年の男性(56)が明かす“ワークマン”経営のリアル

『ホワイトフランチャイズ ワークマンのノルマ・残業なしでも年収1000万円以上稼がせる仕組み』より #1

2022/01/12
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リーマンショックの衝撃と復興需要

 経営の浮き沈みはもちろんあった。

「大きくいえば、2008年に起きたリーマンショックを受けて厳しくなり、2011年の震災では需要が増えました。リーマンショックのあとは、丸々1年間、月々の目標を達成できないくらい売上げが落ち込んだんです。これまでやってきたなかでもとくに厳しい時期になりましたね。そんなときでも続けてこられたのは、常連の職人さんたちがいたからです。動揺した面もあったんですけど、“反動できっとまた上がるときがくる”という考えになれたので、そこまで不安にならずに済みました。震災については、このあたりはそれほど被害が大きな地域ではなかったんですが、うちのカミさんの地元なんかはギリギリまで津波がきていたところなので、見に行って言葉を失いました……。その後、ボランティアや工事の人たちが被災地に入っていったので、必要品を揃えるための復興需要は2年くらい続きましたね」

写真はイメージです ©iStock.com

娘が波を捉えはじめた

 復興需要が一段落したあと、売上げの伸びは停滞した。だが、2018年にワークマンプラスが誕生すると、全国的なブームが到来することになる。北上常盤台店はそのなかでも大きく売上げを伸ばした店舗に挙げられる。

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「カジュアル系の商品が増えてきたとき、うちではそういう商品をけっこう多く取り入れたんです。ちょうどその頃、娘ふたりが店を手伝ってくれるようになっていて、商品の発注にも興味をもったみたいなんですね。あるとき商品リストを見て『これ、きっと売れる。取っていい?』って聞いてきました。はじめてのことだったので『ああ、いいよ』と答えて娘に任せていたら、すごい数を発注し始めた(笑)。私の感覚としては、さすがに多すぎるんじゃないかという気がしてたんですが、それが完売したんです。

 自分にはそこまで思いきった仕入れはできないので、娘たちの挑戦があってこそ伸びたんだと思っています。娘の発注にストップをかけるつもりはまったくなかったというか、どうぞ取ってください、と(笑)。失敗して商品が残ってしまったとしても、それはそれで仕方がないという感覚でした。そこで止めてしまっていたなら先に進めない。やってみたからこそ、おもしろいと感じて、この仕事に身を入れるようになっていったんですから。最初は『お小遣いをあげるから手伝って』というところからやらせてみたんですが、上の娘に関しては、勤めていた会社を辞めて、秋から正式にうちで雇用することになりました」