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貴乃花の「過剰さ」

 優勝22回の貴乃花の引退は2003年1月である。その圧倒的実績から彼は一代年寄を許され、また協会から1億3000万円の功労金を受け取った。04年2月には二子山部屋を継承し、貴乃花部屋と名跡を変更した。

貴乃花 ©文藝春秋

 しかし貴乃花は中野新橋の部屋には常駐せず、品川区に新築した豪邸に、1995年に結婚した8歳上の元フジテレビ・アナウンサーの夫人とともに住んで、部屋へ通勤した。引退後の貴乃花はダイエットにつとめ、現役時代の体重を半分以下に落とした。肋骨を鳥籠のように浮き出させたその過剰な痩せかたは周囲を驚かせた。

 03年、朝稽古に姿を見せない貴乃花への不満を安芸乃島が口にし、それが本人の耳に入った。安芸乃島は貴乃花の5歳上、初代貴ノ花にスカウトされて藤島部屋入りした兄弟子である。元来よくはなかった2人の関係は、これを機に修復不能となった。

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 同年5月の引退にあたって安芸乃島は、年寄株山響を譲り受ける約束を新二子山部屋の親方(初代貴ノ花)とかわしていたのだが、これに貴乃花が介入して話は流れた。一時藤島株を二子山親方から借り受けた安芸乃島だが、その後出羽海一門の持ち株・千田川を買って二子山部屋と二所ノ関一門から完全に離れた。それは相撲界では異数のことであった。さらに二子山親方は藤島株を一門外の武双山に譲渡したが、これにも貴乃花は激怒したといわれる。

病の急速な進行

 二子山親方(初代貴ノ花)の最初の順天堂医院入院は2003年10月であった。脚部に生じた血栓の治療薬の副作用で口内炎を発症、発語も不自由になったため、という理由がつけられたが、実際は口腔底がんであった。

 口腔底がんは酒やタバコの過剰な摂取が原因のひとつだといわれる。二子山の場合は、千代の富士のように禁煙しなかったことが祟ったのだろう。このがんは全摘すれば予後が必ずしも悪くないとされるが、そのためには顔の下部の切除が必要で、はっきり人相が変る。美男力士として人気を博した二子山としては耐えがたかったのか、患部の部分切除にとどめた。このときの入院は貴乃花夫妻がとりしきり、兄の勝には入院の事実さえ知らせなかったといわれる。二子山は04年1月に職務復帰した。

 理事長再登板の北の湖は、そんな病身の二子山を翌2月1日付けでナンバー2の事業部長に任命した。定年となった佐渡ヶ嶽(元琴桜)の後釜である。その際、二子山は協会職務に専念するため、部屋運営を貴乃花に任せることにした。

 しかし04年6月上旬、順天堂病院に再入院したのは、すでに吐血症状を呈していたからであった。この再入院では勝が連日見舞ったが、貴乃花夫妻は一転して姿を見せなかった。一説には、部屋の土地と建物の権利書を貴乃花が持ち出したことに二子山が激怒、出入り禁止にしたのだという。「花田家親子、若貴兄弟が見かけと違って仲の悪いこと」は、すでに相撲関係者だけが知る事情ではなかった。