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“普通”のナチ将校は日々どんな生活をしていたのか…? 「無名の加害」の人間的素顔に迫る

芝健介が『SS将校のアームチェア』(ダニエル・リー 著)を読む

2022/01/24
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『SS将校のアームチェア』(ダニエル・リー 著/庭田よう子 訳)みすず書房

 ナチ・ドイツ国家のヨーロッパ・ユダヤ人絶滅政策(ホロコースト)や、反ナチ・レジスタンスに対する苛烈な弾圧を遂行する中心軸となった親衛隊(SS)は、連合国から犯罪組織と断罪され、第二次世界大戦後、幹部のみならず末端隊員まで戦犯追及を免れず、潜伏・逼塞・沈黙を余儀なくされた。「黒い制服を着た男たち」という均質的集団として単純に一括りできない複雑な組織であったこの親衛隊については、首都ベルリンにあった複数の本部組織、たとえば秘密国家警察(ゲスターポ)を核とした国家保安本部や、強制収容所を運営した経済管理本部等に関し、ある程度詳細な歴史が語られてきた。また、指導者ヒムラーや、保安本部長官ハイドリヒ、絶滅収容所へのユダヤ人強制移送の総元締めだったアイヒマン等の際立ってラディカルに見える人物像には比較的光があてられてきた。だが、普通の一般SS将校・兵士は日々どんな生活をし、どんな活動とキャリアを通して組織全体のメカニズムに貢献していたのだろうか。こうした問題意識のもとに無名の加害者のライフ・ヒストリーの軌跡をたどろうとする現代史家は今まではほぼ皆無だった。本書はその貴重な歴史痕跡探索の試みである。

 著者は、(フランスでの)ホロコーストの犠牲者個々人の運命を地道に辿り直し高評を得た英ユダヤ系歴史家である。本書の発端は、元チェコ人女性の娘からの突然の調査依頼であった。母親は1968年前後プラハの骨董屋で見つけて以来愛用し、その後出国先で2011年偶たま修理に出した古いアームチェアから、或るひとりのSS将校の関係書類が出てきて、仰天したのだという。誰が、何のために隠したのか? この謎を解くために、著者は、シュトゥットガルトはじめドイツの関係諸都市、チューリヒ、プラハ、果ては米ニューオーリンズまでまめに足を延ばし、5年にわたって、数かずの関係者や生き証人と遭う旅を積み重ね、椅子とそこに70年近く隠されていた秘密書類の所有主をつきとめる。R・グリージンガー。1906年生まれ、少年期に第一次大戦を経験し、ヒトラーが政権を掌握した1933年、内務省入省と同時にSSに入隊。法務官として戦時最後の任地がチェコのプラハだった。6年にわたる過酷な対チェコ占領支配を主導した親衛隊への報復は当然予想された。自らの身分を示すSSパーソナルファイルは隠さねばならなかった。プラハ解放時、復讐心で見境なくなった一部チェコ人はドイツ人とみなした人間を次々と襲った。主人公も、結局悲惨な最期を避けえなかったと著者は見る。

 狂信的ナチではけっしてなく、むしろキャリアアップに夢中だったためにホロコーストの一端にもかかわった凡庸なSS将校。社会的風貌の裏に隠されたその人間的素顔が徐々にあぶりだされてくる快作である。

Daniel Lee/歴史学者。専門は、第二次世界大戦およびホロコーストにおけるフランスと北アフリカのユダヤ人の歴史。本書では、ナチス政権下の下級官吏の実態を明らかにする。他の著書に『Pétain's Jewish Children』(2014年刊、未邦訳)がある。
 

しばけんすけ/1947年生まれ。歴史学者。専門はドイツ現代史。『ヒトラー 虚像の独裁者』『ニュルンベルク裁判』など著書多数。

SS将校のアームチェア

ダニエル・リー ,庭田よう子

みすず書房

2021年11月19日 発売

“普通”のナチ将校は日々どんな生活をしていたのか…? 「無名の加害」の人間的素顔に迫る

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