一緒にいて、台所で嫁さんが使っていたら待たなくちゃいけないし、その逆もあるわけです。どんなに小さくても、それぞれに台所があるとうまくいきますよ。
おふくろも晩年は少し認知症になってきて、電気をつけっぱなし、水道を流しっぱなしで、外に出ちゃうことがあったんです。女房は、おふくろが出ていくまで、消したり止めたりするのを待ってました。目の前でやったら、おふくろがショックを受けるからって気を使ってたんですね。
兄姉4人の親だから、介護費用も葬式代もきっちり分けた
ーー介護はご兄弟でされていたそうですが。
北野 基本は、私たちと実家にいたんですけど、姉が軽井沢、一番上の兄が茅ヶ崎にいて。それで「兄ちゃんとこ、行ってくるよ」「姉ちゃんのとこ、行ってくる」と、それぞれの家を1週間ほど行ったり来たりしていたわけですよ。そうしたら軽井沢で大腿骨を折って、寝たきりになっちゃって、それから少しして亡くなりましたね。
最後のほうは、姉のいる軽井沢で倒れたので彼女が中心になって見てくれました。兄姉4人の親だから、介護の費用も葬式代もきっちり分けて、喪主も兄姉4人にしましたよ。まぁ、弟がプラスアルファをしてくれましたけどもね。
ーーさきさんは軽井沢の前にも大腿骨の関節を骨折されていて、高齢のリスクを顧みずに手術を受けています。これは、誰の手も借りないで子供たちの家に歩いて行きたかったからとのことですが。
北野 昔から歩くのが好きだったし、気はしっかりしていましたからね。
ーー車椅子などを用意されて、年寄り扱いされると。
北野 すごい嫌がってましたね。一番嫌いなスポーツは、ゲートボールだって言っていましたから。「あんなの年寄り臭くって嫌だよ」って(笑)。
ーー年を取っても、ずっとしっかりされていた。
北野 近所のおばあちゃん、おじいちゃんたちからは、博士なんて呼ばれて慕われていましたよ。いろいろと物事を知っていましたからね。イギリスの国歌を歌ったりね。奉公時代に働いていたお屋敷で、そこのお嬢さんが家庭教師に教わっているものを見聞きして自分も学んでいたらしいんですよ。
ほんと、よく思うんですけど、50年遅く生まれてたら、ニュースキャスターにでもなっていたんじゃないかって。バリバリのキャリアウーマンというか。
母・さきさんが語った、5つの“教え”
ーーさきさんが、大さんたちに言って聞かせていた言葉も「自慢、高慢、バカがする」など、至言が多いですよね。
北野 特に「自慢、高慢、バカがする」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「一杯の酒で城が傾く」「物をもらって怒る人はいない」「人は欲しい時に物はくれない」の5つですね。
たとえば「一杯の酒で城が傾く」の「一杯の酒」はタダ酒、つまり汚職や賄賂のこと。「城」は、地位、身分、財産。そういうことすると、身を滅ぼすぞという。生意気にも、講演で“北野家の訓え”として、この5つをお話させてもらっていますけどね。