息子・たけしの不祥事に「死刑にしてください」と言っていたが
ーーフライデー襲撃事件、バイク事故の際、さきさんはたけしさんのことを報道陣に対して「死刑にしてください」「死んで詫びろ」などとおっしゃっていましたが。
北野 言っていましたね。でも、裏じゃ違っていたんですよ。バイク事故の時は、神奈川の寒川神社まで祈願しに行ってたんです。
ーー寒川神社って、八方除けの?
北野 そうです。「とにかく治してくれ」と。明治の女性だから、世間体を気にして厳しいことを言うんですよ。口では「お前なんか死んでりゃよかった」なんて言っていますけど、そのあたりは親だから使い分けていますよ。
ーー楽屋の挨拶も担任への付け届けも、たけしさんが可愛いくて仕方がないゆえに、だったのでしょうね。
北野 末っ子で、一番可愛かったんだと思いますよ。まぁ、たけしの担任だった先生はご存命なんですけど、当時は我が家の家族みたいでした。
先生は独身だったから、毎晩うちに来てご飯を食べて。おふくろも先生の服を洗濯してあげたり、下宿している部屋を掃除してあげたり。そんなの、いまだったら大問題になっちゃいますよ。おふくろのことを「母ちゃん、母ちゃん」と呼んで、それでおふくろも可愛がっちゃって。また、それで親父がやきもちを焼いたり(笑)。
先生は、おふくろの告別式でも「世話になったから」と言って、帰らないでずーっといてくれました。弟の小さい頃の写真なんかは先生が撮ってくれたものが多くて、面倒見がすごく良かったんですよ。おふくろの行動が功を奏したというか、とにかく教育熱心な母親でしたね。
母・さきさんが実践した「嫁姑同居の知恵」
ーー大さんは、さきさんと同居されていましたよね。奥様とさきさんは、いわゆる嫁姑としての関係はうまくいかれていたほうですか?
北野 そのへんも、おふくろは非常に利口でした。おふくろは、床屋さんを放送局だと言っていたんですよ。というのは、床屋のマスターとお客さんが喋って、その話を他のお客さんにも喋る。そうやって、町中に良い話も悪い話も広まってくわけですよ。昔の床屋さんというのは、情報源でもあったんですね。
私がいまも通っている床屋さんが、おふくろに「おばあちゃん、大さんと住んでるじゃない。普通は、長男と暮らすものじゃないの?」と訊ねたんですって。おふくろは「大の嫁が可愛いから、一緒に住んでるの」と答えたそうなんですよ。それが回り回って、うちの女房に届きますね。女房だって、悪い気はしませんよ。
ーーお見事ですね。
北野 巡り巡って、悪口だったら嫌ですよね。でも、そうやって陰で褒められると余計に嬉しいもんです。だから、「お母さん、お母さん」と仲良くやってくれて。俗に言う嫁姑問題は、我が家ではなかったです。
でも、念のために僕がやったのは同居を始めるにあたって家を二世帯にしたこと。おふくろのところにも台所、我々のところにも台所、そして食事をする部屋は一緒にして。そうすると、おふくろが煮たり焼いたりして持ってきて、一緒に食べるんですよ。