ビートたけし(75)を弟に持つ、大学教授、工学博士の北野大(79)。
報道番組のコメンテーターやクイズ番組の回答者など、テレビ出演でも活躍してきた大氏は、現在秋草学園短期大学にて学長を務めている。
テレビに出るきっかけとなった『サンデーモーニング』出演の意外な経緯、弟に抱いていた“羨ましい気持ち”について話を聞いた。(#1〜#3の#1/#2を読む)
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大橋巨泉に「たけしの兄貴はすごいぞ」と推薦されたが…
ーー1987年に45歳で『サンデーモーニング』(TBS、1987年~)の理系コメンテーターとして出演。これを機にテレビ出演を開始されたわけですが、実は大さんの兄・重一さんと間違われてオファーを受けていたそうですね。
北野大氏(以下、北野) 嘘みたいな話なんですよ(笑)。当時のプロデューサーさんに、「なぜ私なんですか?」と聞いたら「(大橋)巨泉さんの紹介だ」って言うんですよ。でも、私は巨泉さんとお会いしてないんですよ。
いろいろ聞き出したら、関口(宏)さんが、誰かコメンテーターできる人はいないかと巨泉さんに相談したらしいんですね。それで「たけしの兄貴がいいよ」って言ったそうなんです。ですが、どこでどう間違えたのか、ふたりいる兄貴の二番目である私に声を掛けちゃったんです。
ーー巨泉さんは、長男・重一さんのどこを見込んで関口さんに勧めたのかご存知ですか。
北野 昔、弟が新宿の若松町に「北の屋」って割烹を開いたんですよ。弟が『夜叉』(1985年)という映画で福井のロケに行って、そこで出会って意気投合した板前さんを東京に呼んで開いた店なんですけどね。
その店で、弟と一番上の兄と巨泉さんが会ったわけなんです。兄は英語が得意なものですから、それで巨泉さんが感心しちゃって。巨泉さんは、英語が得意な方で、それこそ南部訛りからクイーンズ・イングリッシュまでできますから。英語のできる人に対して一目置いていたんですね。
ーー重一さんは、アルバイトでGHQの通訳をなさっていたくらいですからね。
北野 巨泉さん曰く、「たけしの兄貴はすごいぞ」と。「たけしだって頭がいいのに、なんだって英語を喋れないんだ」みたいなね(笑)。それで巨泉さんから関口さんへ、関口さんからTBSへと伝えられたんですけど、なぜかTBSが間違えて私のところへ来ちゃったわけですよ。
ご辞退する旨を書いた手紙を出していたんですけど、プロデューサーさんがこれまた熱心な方でしてね。当時、私は(財)化学品検査協会(現:財団法人化学物質評価研究機構)という財団で働いていたんですけど、その職場にまでやってきて「出てください」って頭を下げるんですよね。
ーーどういった理由で、大さんはお断りしていたわけですか。
北野 結局は、“弟の七光り”ですからね。弟が売れない芸人で苦労している頃に、私は大学院の学生だったんです。寝食は実家で世話になり、奨学金を借りて大学に通っていました。たまに弟と会うことがあれば、「芸人になること、もうやめたら」なんて言うだけで、兄としてなにもしてあげられなかったという忸怩たる思いがあったわけです。
ですから、弟が売れて有名になったからといって、私が「はい、待ってました」とテレビに出るなんてできなかったですよ。それに、有名人や芸能人の兄弟が後から芸能界に入って成功する例って少ないですよね。