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「ゲートボールなんて、年寄りくさくって嫌だよ」北野大(79)が語る、元祖・肝っ玉母ちゃん「さき」の“晩年”

「ゲートボールなんて、年寄りくさくって嫌だよ」北野大(79)が語る、元祖・肝っ玉母ちゃん「さき」の“晩年”

北野大さんインタビュー#3

2022/02/05
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 ビートたけし(75)を弟に持つ、大学教授、工学博士の北野大(79)。

 報道番組のコメンテーターやクイズ番組の回答者など、テレビ出演でも活躍してきた大氏は、現在秋草学園短期大学にて学長を務めている。

 母・さき氏との思い出、晩年の彼女の姿、現在の北野家の様子について話を聞いた。(#1〜#3の#3/#1から読む)

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現在学長を務める秋草学園短期大学にて、取材を受ける北野大さん

◆ ◆ ◆

ーー北野家といえば、大さん、たけしさんと並んで、お母様のさきさんの存在も大きかったですよね。さきさんは、たけしさんの出演番組を片っ端からチェックしていたそうですが。

北野大氏(以下、北野) 朝、弟の出る番組を新聞のラテ欄でチェックして、マジックで囲ってましたね。でも弟の番組を見ているときは、まったく笑わない。クスリともしない。それは面白くないからじゃないんです。どのくらいウケているのかをチェックしているんですよ。やっぱりわが子のことだから心配だったんですよ。

ーー大さんの番組もチェックされていましたか?

北野 まあ『サンデーモーニング』くらいは見ていたんじゃないでしょうか。なんにも言われなかったですね(笑)。やっぱり弟のテレビにおけるスタンスと、僕は違いますから。弟はプロ中のプロ。僕のほうはアルバイトとは思ってないけど、けっして本職ではないので。そのあたりは、親の感覚としても違ったんでしょうね。

ーーさきさんは、芸事や笑いに関しては目の肥えているほうでいらしたのですか。

北野 昔の人ってのは、家族の誰かが芸人になるなんて言い出したら反対していたもんでしたから。おふくろも、とにかく学校に行って、きちんとした仕事に就けという考えの人でした。なので、芸能に詳しいとか、関心があったということはなかったと思いますよ。

恒例だった「楽屋へのせんべいの差し入れ」

ーー『世界まるごとHOWマッチ』(TBS、1983〜1990年)が放送されていた頃のお話だと思うのですが、たけしさんが巨泉さんと石坂浩二さんにお世話になっているからと、ふたりの楽屋までせんべいを持っていったという。

北野 そうそう。足立区の西新井でせんべいを買ってね。「いつも、たけしがお世話になっております」と頭を下げて楽屋に行きました。私も一緒に連れていかれていたんですよ。まだ、テレビに出てない頃です。重いからっていうので、もっぱらせんべい持ちですよ。おふくろの後ろを、せんべいを包んだ風呂敷を持って行きましたね。

 

 たまたま弟も楽屋にいたことがあって、「なんで母ちゃんがいんだよ」って驚いていたけど、嬉しそうでしたね。そこで弟が巨泉さんに失礼なことを言ったら、おふくろが「お前!」なんて叱って。まぁ、何回も一緒に行きましたよ。あくまで、せんべい係でしたけど(笑)。

ーー『サンデーモーニング』の楽屋に、せんべいの差し入れは。

北野 一度もなかったです(笑)。うちのおふくろは、尋常小学校を出たあと苦労して、お屋敷のお手伝いをしていたんです。そこで、おやつを先輩にあげては、その代わりに裁縫や料理を教わっていたんですね。それもあって、物を渡して良い人間関係を構築するという考えを持っていたんです。

 弟が小学生の頃も、我が家は裕福じゃなかったのに担任の先生のところへカルピスを持って付け届けしていましたね。それも僕が一緒にカルピス持ちでついていっているんですよ。

 一緒についていくと、先生も「じゃあ、一緒に飲みましょう」なんてなるんですよ。僕もご相伴にあずかって、「おぉ、酸っぱいな」って言いながらカルピスを飲んでいましたよ。おふくろも、腹の中じゃ少しでも弟の成績を良くできるものならってことだったんでしょうけどね(笑)。