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ーーたけしさんに迷惑をかけてしまうと。

北野 弟のコネみたいにして、私がマスコミやテレビに出てもね。結局、弟の足を引っ張るようになったら申し訳ないですから。そういうのもあって逃げ回ったわけですよ。

 だけど、そのプロデューサーさんが「私を助けてください」「自分のクビがかかってる」って言うんですよね。そう来られたら、断るに断れなくなってしまったんです。

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ーー策士ですね。

北野 それで、弟に「TBSからこういう話がきてるんだけど、どうだろうか?」と聞いたんです。すると「社会が広がるぞ」と。

 いままでは、周りは研究者ばかりで、お付き合いの相手は大学や行政の方ばかりでしたから。けれども、テレビに出れば、芸能人はもちろん、弁護士やスポーツ選手なんかとも会うから社会が広がっていくと言うんですね。それで、私も「じゃあ、やってみよう」って決心したんです。

 プロデューサーさんの「助けてくれ」という頼み方は、すごく上手だったと思ったんですよ。普通は人に物事を勧める時って、「これは安くて、お得ですよ」みたいにいい話だけをしますよね。

 

 その時は、そんなことは一言も言わなかった。「助けてくれ」の後に「いや、私はこれで20年飯を食ってるから。失礼だけど、テレビで使えるか使えないかが一目でわかる」と続けられましてね。その言葉にほだされて、『サンデーモーニング』に出ることになりました(笑)。

ーープロデューサーさんは、大さんと重一さんを間違えていたことには気付いていたのでしょうか。

北野 後で気付いたと思います(笑)。オファーの経緯を訊ねた時に、私が巨泉さんと「北の屋」で会ってないことを話しましたから。「あれ?」となったんじゃないですか。

出演回を見た、弟・たけしの“アドバイス”

ーーたけしさんのほうから、『サンデーモーニング』出演にあたって細かいアドバイスなどは?

北野 まったくありませんでしたね。だけど、私が初めて出演した回とその次の回は、放送を見ていてくれて。「あんちゃん、説明が堅いよ」と。たとえば抗原や抗体を説明するとしたら、弟に言わせれば抗原はウイルス、抗体はそれを叩いてやっつける金槌みたいなもんだって言い方をしたほうがいいぞと。

 弟の言う通りで。やっぱり、私はそれまでは一般の人ではなく、専門の方ばかりを相手にしていたので、そのあたりの具合が掴めない。ですから、弟の助言はたいへん助かりましたね。

ーー『サンデーモーニング』は、休日である日曜の生放送だから出演できていたと。

北野 そうですね。私が勤務していた財団法人は、国の機関でないけど、傘下にあるので、テレビ出演にも厳しいんです。

 しかし、当時の財団の専務理事が理解のある人で。まず、日曜日の放送ならば休日で通常業務に関係ない、と。休日でもアルバイトは禁止にあたるんだけれども、北野はアルバイトでテレビに出ているんじゃなくて、化学という専門分野で出ていて、専門を活かしているんだ、と。おまけに、(財)化学品検査協会の名前が広く認知される、と。

 この3つの理由から、特別に出てもよいと許可されました。もちろん、ダメだと言われたら出ませんでした。私も最初は出る気がありませんでしたし。