6年の歳月と180億円の予算が投じられ……
順を追って説明すると、この区間は信州と遠州を隔てる国境であり、昔の街道だった時代から最大にして最強の難所だった。その解消は多くの人にとって悲願だったが、このあたりには世界最大規模の断層として知られている中央構造線が通っており、地盤が非常にもろい。そのためトンネルを掘るのは超難工事。当時の技術では、青崩峠の下にトンネルを通すことは不可能と判断された。
そこで、草木峠とその先の兵越峠にそれぞれトンネルを掘り、青崩峠の東側を迂回する道を作ることになった。その最中に高速道路・三遠南信道の計画が持ち上がり、この区間は三遠南信道の一部、つまり高速道路として整備されることとなった。
そして、まず開通したのが草木トンネルだった。だが、それも難工事であることには変わりない。全長1311メートルのトンネルと前後の区間を整備するため、6年の歳月と180億円の予算が投じられ、1994年になんとか開通した。
その後、兵越峠にもトンネルを掘ることで、未開通区間は解消される予定だった。しかし、改めて地質調査を行った結果、思った以上に地盤が脆弱であり、兵越峠にトンネルを掘ることは困難であると判明したのだ。
一般道に格下げされた“悲劇のトンネル”
結局、ここに高速道路を通す計画は断念され、苦難の末に完成した草木トンネルも目的を失い、高速道路から一般道へと格下げされた。もともと高速道路として作られた道だったため、後から歩道を整備し直すなど、わざわざ「道路の規格を下げる工事」を行うという、極めて異例な事態となったのだ。これが、地図に「日本のトンネル技術が敗退」とまで書かれるようになったゆえんだ。
結果的に、この迂回路は途中まで高速道路のような広く整備された道が続くのに、その先では突然道幅が狭くなり、クネクネと細かいカーブが続く峠越えの道に激変するという、不思議な道路になったのだ。
さて、兵越峠を越えて国道152号に復帰し、さらに北上を続けよう。遠山郷からは遠山川に沿って快適な2車線路が伸びている。そこから20分ほど走ると三遠南信道・矢筈トンネルとの分岐に到達し、いよいよ第2の不通区間である地蔵峠が迫る。