というと、何も珍しくないような光景ということになるのだが、ちょっと違うのだ。どことなく、ノスタルジックな雰囲気があるのだ。これはどういうことかと思いながら歩いていくと、飯能銀座と名付けられた商店街にぶち当たる。
道幅が広く、よく整えられた商店街で人通りもそこそこ。アーケード街ではないが、飯能の中心はまさにこのあたりということになるのだろう。ただ、そこの空気は都心部の商店街と比べるといささかのんびり、ゆっくりした時間が流れている。
他の道筋にも似たような商店街があるが、どこも同じような空気感。昔ながらの古ぼけた旅館(たぶんいまは営業していない)があったり、どの商店も昔ながらの昭和の商店街らしい看板建築の店舗も目立つ。
「独特な雰囲気」の源流は?
駅前には大好きなドトールコーヒーもあったし、駅にはPePeにボウリング。これだけとってみれば都市部のベッドタウン、住宅地の駅前なのだが、こうした商店街のレトロ感が飯能の町の独特な雰囲気を生み出しているのだ。まるで、大都市近郊の駅前と地方都市の駅前を足して2で割ったような、そんな飯能の駅前の風景である。
飯能の町は、歴史的には木材の集積地として栄えていた過去を持つ。飯能銀座を含む市街地を東西に貫く道路はかつての秩父往還(江戸秩父道)。江戸と秩父を結ぶ道筋の途中にあって、プチ宿場町のような機能を持っていた。さらに関東山地から切り出されたスギやヒノキが飯能に集まって、筏流しで入間川を下って江戸に運ばれていたという。
つまり、飯能は山の入口という立地のゆえに木材で古くから賑わった町だった。飯能から江戸に送られた木材は西川材と呼ばれ、たいそう重宝されたという。明治に入ってもそうした木材の町であったことは変わらず、長らく筏流しによる木材輸送は続けられていた。
川の町から鉄道の町へ
それが一変したのが、1915年に開業した武蔵野鉄道だ。武蔵野鉄道は現在の西武池袋線の前身で、最初は飯能駅が正真正銘の終点だった。鉄道の開業で筏流しは廃れ、鉄道による輸送に切り替わっていく。